十八世紀ヨーロッパの山師たちを巡る対話:フリーメイソンと外交革命

2018.02.17

開発秘話

十八世紀ヨーロッパの山師たちを巡る対話:フリーメイソンと外交革命

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/十八世紀、メイソンリーという新たな国際ネットワークの中で、新旧両教の対立は大きく構図を変え、北米、南米、エジプトへの近代十字軍の構想とともに、えたいの知れない山師たちが各地で暗躍するようになる。/

「しかし、こうなると、問題はメイソンだ。ローカルなサロンと違って、メイソンは国際的なネットワークを持っている。オーストリアのフランツ一世は、ロンドン大ロッジ系。そこで、四二年には、プロシア選帝王フリードリッヒ二世は、昵懇のイエズス会士に、敵国オーストリアのウィーン市で最初のメイソンロッジ「オー・トロワ・カノン(三つの規範)」を作らせて、オーストリア内部のメイソンをプロテスタントとカトリックに分断しようとした。驚いたマリアテレジアがすぐに解散させたがね」

「おいおい、例のタクシス侯家の郵便諜報は、なにをやってたんだ?」「フリードリッヒ二世に、ぬかりはないよ。タクシス侯家のアレクサンダー・フェルディナントの嫁は、彼の親族だ。タクシス侯家は、郵便総監どころか大公執務官にまで任ぜられながら、最初からプロシア選帝王側に寝返っていたんだよ。それで四二年、プロシア側のバイエルン選帝公カール・アルプレヒトも、実弟がケルン大司教なのに、わざわざ戴冠式をケルン市ではなくフランクフルト市でやって、帝国議会もレーゲンスブルク市からフランクフルト市に移し、タクシス侯家を自分のマンハイム宮殿に住まわせた」「諜報に裏切られていたんでは、オーストリアも、どうしようもないですね」

「それだけじゃない。皇帝は、シレジアのグラツ城代伯、フント男爵なんていう小物にまで裏切られた。まあ、フント男爵にしても、シレジアがプロシアに取られてしまった以上、反皇帝側に付かざるをえなかったんだろうが」「でも、そんなやつ、どうでもいいでしょ」「フント男爵は、フランクフルト市でのザクセン選帝公カール・アルプレヒトの皇帝戴冠式の後、そのままフランスのパリ市に赴き、ジャコバイトの僭称王チャールズ三世に頻繁に会っているんだ。当時、フント男爵が二一歳、チャールズ三世が二二歳。同世代で、連絡係として都合がよかったんだろう。それで、四五年にジャコバイト蜂起」

「チャールズ三世がスコットランドに戻ってイングランドに反乱を起こしたけれど、簡単に鎮圧されて、すぐフランスに逃げ帰っただけだろ?」「同じ四五年には、皇帝バイエルン公も敗退憤死して、オーストリア継承戦争も終わった。プロシアのフリードリッヒ二世がシレジアを得て、「大王」と呼ばれるようになっただけ。裏切者のアレクサンダー・フェルディナント・タクシス侯爵なんか、四八年には、ちゃっかりオーストリア・ハプスブルク家の新皇帝フランツ一世の大公執政官に戻って、そのレーゲンスブルク市の宮廷に住み込んでいるし」「オーストリアも、プロシアや教皇に振り回された連中も、みんな、くたびれ損か」

Ads by Google

この記事が気に入ったらいいね!しよう
INSIGHT NOW!の最新記事をお届けします

純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

フォロー フォローして純丘曜彰 教授博士の新着記事を受け取る

一歩先を行く最新ビジネス記事を受け取る

ログイン

この機能をご利用いただくにはログインが必要です。

ご登録いただいたメールアドレス、パスワードを入力してログインしてください。

パスワードをお忘れの方

フェイスブックのアカウントでもログインできます。

INSIGHT NOW!のご利用規約プライバシーポリシーーが適用されます。
INSIGHT NOW!が無断でタイムラインに投稿することはありません。