十八世紀ヨーロッパの山師たちを巡る対話:フリーメイソンと外交革命

2018.02.17

開発秘話

十八世紀ヨーロッパの山師たちを巡る対話:フリーメイソンと外交革命

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/十八世紀、メイソンリーという新たな国際ネットワークの中で、新旧両教の対立は大きく構図を変え、北米、南米、エジプトへの近代十字軍の構想とともに、えたいの知れない山師たちが各地で暗躍するようになる。/

タクシス家の諜報活動

「でも、ローマ帝国も無くなっちゃいますよね」「そうだな。いまのポーランドのあたりから南下してきた東ゴート族が、四七六年に西ローマ帝国を滅ぼし、イタリア半島やシチリア島まで含むアドリア海沿岸全域を支配したからね」「それで、ゲルマン人の中世ですか?」

「いや、この王国も、五五四年に東ローマ帝国に滅ぼされてしまう。これで再びローマ帝国は統一されたんだが、今度はデンマークの方からランゴバルド族が南下してきて、ローマ教皇領とサルディニア島、シチリア島の三ヶ所以外を征服してしまった。それで、ローマ教皇は、アルプス以北を支配するフランク王国のカール大帝に救援を求め、七七四年には、教皇領を除く西ヨーロッパ全域がフランク王国のものになった」「でも、八四三年に三分相続されてしまうんですよね」「ところが、中フランク王国は、跡継がいなくて、八七〇年、ライン地方は東フランク王国に、プロヴァンス地方は西フランク王国に吸収され、残ったイタリアは、東西のフランク王国と教皇が三つどもえで争うことになってしまった」

「あれ? 神聖ローマ帝国っていうのは?」「八〇〇年のクリスマスに、フランク国王カール大帝がローマ教皇からローマ皇帝に叙せられたことから、ローマ帝国になったんだ。これは、西ローマ帝国の復興にすぎないんだが、こっちは、東ローマ帝国なんかと違って神さまに認められたんだぞ、って、いうことで、「神聖」と名乗ったらしい」「だけど、教皇と皇帝って、イタリアの支配権を巡って、たがいに争ってるんでしょ」「そこが大人の事情っていうもんだろうな。東ローマ帝国に対抗するためには手を繫ぐが、反対の手で殴り合っている、おまけに、東フランクや西フランクも、中は地方割拠でバラバラになっていき、そのうえ、西フランク王国は、九二二年には臣下のアンジュー伯に乗っ取られて、ただのフランス王国になってしまった。神聖ローマ帝国を名乗るようになった東フランク王国も、十字軍時代の一二五四年に王家が断絶し、その後は、ボヘミア(チェコ)王ルクセンブルク家、バイエルン王ヴィッテルスバッハ家、オーストリア公ハプスブルク家の互選になってしまった」

「教皇の方は?」「こっちもめちゃくちゃだな。一二六二年にオットーネ・ヴィスコンティがミラノ大司教になったんだよ。こいつがワルで、街の有力者トッレ家を叩き潰し、世俗のミラノ僭主になってしまった。以後、ヴィスコンティ家がミラノ領を拡大。チロルのあたりも、地元司教領を、その臣下だったシュパウァ伯が実質的に支配するようになり、間に挟まれた自治都市ベルガモなんかは、ゲルフ(教皇派)とギベリン(皇帝派)で争っている間に、ミラノに吸収されてしまった。オーストリアも、さらに勢力を拡大し、一三六三年にはチロルを吸収。国を接することになったミラノ・ヴィスコンティ家は、オーストリアの皇帝ハプスブルク家に潤沢な商業資金を献上して、一三九五年に皇帝からミラノ公として正式に認められることになる」

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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