近代の国家と個人の始まり:フマニズムと宗教改革の16世紀

2018.07.24

開発秘話

近代の国家と個人の始まり:フマニズムと宗教改革の16世紀

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/1500年、歴史は大きく動いた。中世のローマ教会とヒエラルキア(神聖管理)、そして、前世紀のルネサンスとバブル国家が一掃され、宗教改革とともに、近代の国家と個人が登場してくる。このことこそ、その後の世界における欧米のヘゲモニー(覇権)の端緒となった。/

/1500年、歴史は大きく動いた。中世のローマ教会とヒエラルキア(神聖管理)、そして、前世紀のルネサンスとバブル国家が一掃され、宗教改革とともに、近代の国家と個人が登場してくる。このことこそ、その後の世界における欧米のヘゲモニー(覇権)の端緒となった。/


教皇の世俗化

十字軍の失敗と疫病の大流行の後の15世紀、ルネサンスとして、従来の人間観や自然観、世界観に縛られない数多くの天才や英雄が生まれた。しかし、疫病は繰り返しヨーロッパに襲いかかった。狭い地域に隔離されながら清潔を徹底するユダヤ人や、疫病を運ぶネズミを蹴散らすネコとともに町から離れて暮らす「魔女」などは、疫病の難を免れたが、かえって、彼らこそ疫病の原因と疑われ、虐殺されることも少なくなかった。

これに乗じ、教会は、教会の中世的世界観を越える天才や英雄を魔女狩りや異端審問で弾圧。だが、スペイン系ボルジア家アレクサンデル6世(1431~教皇92~1503、61歳)に至って、教皇みずからが実子チェーザレ(1475~1507、18歳)を枢機卿に引き上げ、敵対者や周辺諸国を侵略と謀略で陥れ、私領を拡大。ただの世俗君主へと堕ちていく。とはいえ、この教皇、ルネサンス的な新風潮を弾圧するだけでなく、これを逆に利用して教会権威を取り戻そうと、ルネサンスの巨匠、ブラマンテ(c1444~1514)にローマのヴァティカン大聖堂を改築させることにする。

アンジュー伯帝国やブルゴーニュ公国を支配下に収め、国内再統一を果たしたフランスのルイ12世(1462~即位98~1515、36歳)も、さらにミラノ公国やフィレンツェ共和国、ヴェネツィア共和国、ナポリ(旧アラゴン)王国などのルネサンス国家にも触手を伸ばし、イタリア戦争(1494~1559)を引き起こす。また、当時の学者ときたら、役にも立たない時代錯誤の神学や理想を偉そうに語るくせに、人としてまったくの役立たず、それどころか、教会や王族に媚びへつらう連中ばかり。

これらの矛盾する姿に、1511年、エラスムス(1466~1536、47歳)は、聖書学者ながら、教会や王族、学者を風刺する『痴愚神礼讃』を出版し、人間の根底にある愚かさを暴いて笑った。いや、専門的な見識に欠けて愚かとされている凡庸な常識の方こそが、むしろじつは皮肉にも教会や王族、学者の屁理屈よりまともであることを示した。


宗教改革

1513年、フランスに脅かされていたフィレンツェのメディチ家が、教皇レオ10世(1475~教皇1513~21、38歳)を出す。彼は、まさにルネサンス教皇らしく、ヴァティカン大聖堂の改築を本格化させた。その資金調達のため、メディチ家に連なるアウグスブルクの銀商フッガー家、ブランデンブルク辺境伯(元ニュルンベルク城代伯、旧チュートン騎士団)ツォレルン家に免罪符(贖宥状)の発行を認める。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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