十八世紀ヨーロッパの山師たちを巡る対話:フリーメイソンと外交革命

2018.02.17

開発秘話

十八世紀ヨーロッパの山師たちを巡る対話:フリーメイソンと外交革命

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/十八世紀、メイソンリーという新たな国際ネットワークの中で、新旧両教の対立は大きく構図を変え、北米、南米、エジプトへの近代十字軍の構想とともに、えたいの知れない山師たちが各地で暗躍するようになる。/


大オリエント社

「マルタ騎士団大統領のピント構想は?」「御破算さ。ドイツの新聖堂騎士団が大ブリテン側に付いたとなると、フランスのレザミ・レユニは話に乗れない」「じゃあ、エルドラド十字軍も?」「いや。マルタ騎士団大統領ピントが、別の財宝話を持ち込んだんだ。おりしも、七年戦争でフランスは敗北し、これまでも失敗続きだったフランス東インド会社の最終的清算となり、七三年の貿易商社イエズス会の解散もあって、インド貿易は自由化された。それで、ランジェ侯爵は、ギヨタン医師やビュフォン伯爵とともに、同年、「フランス大オリエント社(GOdF)」を興したんだ」「ギヨタンって、後の例のギロチンの発明者だろ?」「そのことでやたら有名だが、元イエズス会士で、当時、政府の科学顧問のような立場だった」「ビュフォン伯爵は、たしか博物学者ですよね」「百科全書派の生き残りの大御所だな」

「でも、大オリエント社を作った、って、どこに?」「ビュフォン伯爵が当時、王立植物園園長だったんだ。それで、ここが自然誌研究の牙城だった」「王立植物園って、一六〇〇年ちょうどにメディチ家から嫁いできたアンリ四世王妃が薬草園としてパリ市の南側に作ったんですよね」「いまは国立自然誌ミュージアムになっているな」「で、大オリエント社って、メイソン? 貿易商社?」「地位としてはフランス各地のロッジを束ねるメイソン大ロッジだが、実質は、南海バブル期のタンサン女男爵サロンと同様、貿易投資ファンドだっただろうね」「でも、インドは混乱していで、大ブリテンの東インド会社も手に負えない状況だったんでしょ。そんなところに、ただでさえ大ブリテンに敗退したフランスが民間貿易投資をして、どうにかなるような見込みがあったんですか?」「これまた、マルタ騎士団ならではの秘策があったんだよ」「?」

「エジプトだ。大航海時代以来、南北アメリカ大陸や、アジア・インドには、イエズス会や東インド会社としてヨーロッパ勢力がさかんに進出していたが、中近東は、敵対するオスマン朝トルコによって、ヨーロッパにとってはまったくの情報空白地帯だった。まして、エジプトのカイロ市は、オスマン朝トルコにとって首都イスタンブールに次ぐ大都市で、地中海とインド洋を繫ぐ交通と貿易の要衝として強固な城塞が築かれており、外国人が入り込めるようなところじゃなかった」「意外な盲点だな」「つまり、大オリエント社は、面倒なインドではなく、エジプトにフランス植民地を作って、今のスエズ運河のように地中海からインド洋に抜け、アジア貿易を展開する、というわけですね」

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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