カグヤ姫には隠し子がいた:684年白鳳大地震の満月津波のかげで(再)

2017.10.04

開発秘話

カグヤ姫には隠し子がいた:684年白鳳大地震の満月津波のかげで(再)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/紀元前2世紀、秦の始皇帝の下、徐福という山師を中心に、三千人もの東方大探索集団が組まれた。その到来伝説が日本各地にある。しかし、この移民は、680年、外洋ダウ船によってこそ大規模に可能になった。その船に乗っていたのが、西王母信仰の巫女、カグヤ姫。そして、彼女は天武天皇との間に男の子を産んだ。しかし、その最期には悲しい悲劇が待っていた。/

紀元前2世紀、秦の始皇帝の下、徐福という山師を中心に、三千人もの東方大探索集団が組まれた。その到来伝説が日本各地にある。しかし、この移民は、680年、外洋ダウ船によってこそ大規模に可能になった。その船に乗っていたのが、西王母信仰の巫女、カグヤ姫。そして、彼女は天武天皇との間に男の子を産んだ。


第二次徐福移民団

もちろん中国系移民は、紀元前からいただろう。それ以上にものすごかったのが、六世紀、七世紀の半島系移民だ。仏教からなにから、いろいろ日本に教えてやった、などというが、実際は、数百年にも渡って連中は半島内でぐっちゃぐちゃな内戦をやらかし続け、その難民として、あっちからもこっちからも、なんどもかってに大挙して日本に逃げ込んでくる。そのせいで、日本の中枢も親百済派と親新羅派に分裂してしまい、聖徳太子から天智天皇の時代まで、がったがた。

とくにひどい目に遭ったのが663年の白村江の戦い。滅亡した百済の連中に唆され、その復興に協力しようとしたら、ボロ負け。大国の唐からいらぬ恨みを買ってしまい、日本まで攻めてくるかもしれない、ということで、天智天皇は、都を近江に逃げ遷すようなありさま。そのくせ、勝ち目も無いのに、九州ほかに軍を置き、唐の侵攻を迎え撃つ気でいる。

672年の壬申の乱は、天智の弟の天武天皇によるクーデタ。生まれ育った大垣直轄領を拠点に、一気に主戦論の天智天皇と近江朝廷を叩き潰した。その背後には、伊勢湾沿岸ほかに住み着いていた古い中国系移民諸族の秦氏美濃王がいた。天武天皇も親唐政策を取り、「大王(おおきみ)」を止めて、みずから初めて「天皇」を称し、飛鳥浄御原令を発して、従来の豪族連合の和議から中国式の天皇絶対の親政へと政体を切り替えていく。

だが、この時代、おり悪しく日本列島は地震活動期に。679年1月(新暦)に筑紫大地震。太宰府から博多港まで壊滅。にもかかわらず、翌680年秋、中国の寧波港から九州熊本の八代に「亀蛇」に乗った連中がやってくる。この「亀蛇」は、アラブのダウ船。それまで、半島も、日本も、船と言えば、平底の箱船を使っていた。しかし、これは、もともと内水(河や湖)用で、ひどく風に弱く、沿岸づたいにしか進めない。おまけに、波をくらうと、ばらばらになってしまう。ところが、ダウ船は、船首から船尾まで底に巨大な竜骨を張り出し、船上にはヨット式の巨大三角帆を持っており、これらをうまく使うことで、逆風でさえ、その風を利用して風上へ登れるという画期的な外洋船だった。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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