― 2014年の取材記事から、人材育成の本質を考える ― 第5章 教育品質は、誰がつくるのか 「品質管理」という言葉を聞くと、多くの人は製造業を思い浮かべるかもしれない。
【連載】人を育てるという仕事
― 2014年の取材記事から、人材育成の本質を考える ―
第5章
教育品質は、誰がつくるのか
「品質管理」という言葉を聞くと、多くの人は製造業を思い浮かべるかもしれない。
決められた品質を維持する。
不良品を出さない。
品質を改善し続ける。
しかし私は、人材育成の仕事に就いてから、教育にも品質管理が必要だと考えるようになった。
むしろ、人を育てる仕事だからこそ、品質へのこだわりが欠かせないと思っていた。
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2014年に『人材教育』で取材を受けた際も、教育品質を高めるための取り組みを紹介していただいた。
そこには、研修を企画し、実施し、改善する一連の流れが図としてまとめられていた。
しかし、その図で私が本当に伝えたかったことは、「管理の仕組み」ではない。
教育は、一度作れば終わりではない。
その考え方だった。
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私は、研修が終わると必ず振り返りを行っていた。
アンケートを読む。
講師と意見交換をする。
運営スタッフの反省を聞く。
受講者の様子を思い返す。
そして、自分自身にも問いかける。
「もっと良くできなかったか。」
この問いを持ち続けることが、教育品質を高める第一歩だった。
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もちろん、アンケートも参考にした。
しかし、私はアンケートの点数だけで研修を評価したことはない。
満足度が高いから良い研修とは限らない。
逆に、受講者が厳しいと感じた研修ほど、後になって「あの研修が一番役に立った」と言われることもある。
教育には、すぐには見えない価値がある。
だから私は、「満足度」ではなく「成長につながったか」という視点を大切にしていた。
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教育品質を高めるために、もう一つ意識していたことがある。
それは、講師任せにしないことだった。
講師が優秀だから大丈夫。
教材が良いから安心。
そう考えた瞬間に、教育担当者の仕事は終わってしまう。
私は違った。
研修が終われば講師と必ず話をした。
受講者はどこで反応したのか。
どこで理解が止まったのか。
時間配分は適切だったか。
演習は機能していたか。
講師だから見えること。
教育担当だから見えること。
その二つを持ち寄ることで、次の研修は必ず良くなる。
教育品質とは、一人で作るものではなく、関わる全員で育てていくものだと思っていた。
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私は教育品質を「完成品」と考えたことがない。
毎回、改善する。
毎回、新しい気づきを得る。
毎回、現場の変化に合わせる。
だから教育には「完成」がない。
品質とは、守るものではなく、高め続けるものなのである。
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振り返ると、私は品質を管理していたというより、「学ぶ組織」を作ろうとしていたのだと思う。
教育担当者が学ぶ。
講師も学ぶ。
運営スタッフも学ぶ。
そして受講者も学ぶ。
全員が改善を続ける文化ができたとき、教育は初めて組織の力になる。
研修の品質とは、教材の品質だけではない。
改善し続ける組織の品質なのである。
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2026年の今、生成AIは研修資料を作り、問題を作り、動画まで作る時代になった。
教育コンテンツの品質は、以前より短時間で高められるようになった。
しかし、それでも変わらないものがある。
それは、「問い」を持ち続けることだ。
この研修は役に立ったのか。
受講者は変わったのか。
現場は変わったのか。
教育担当者がこの問いを持ち続ける限り、教育品質は向上し続ける。
逆に、その問いを失った瞬間、教育は形だけの仕事になってしまう。
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私は今でも、人材育成に完成形はないと思っている。
だからこそ、教育担当者は学び続けなければならない。
研修を改善する前に、自分自身が成長する。
その姿勢こそが、教育品質を支える最大の要素なのではないだろうか。
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次章予告
第6章では、「教育担当者の仕事とは何か」をテーマに、人材育成を担当する人に本当に求められる役割についてお話しします。
教育担当者は研修を運営する人ではありません。
組織の未来を見据え、人が育つ仕組みを描く仕事だと、私は考えています。
人を育てるという仕事― 2014年の取材記事から、人材育成の本質を考える ―
人材育成コンサルタント、シニアインストラクター
● 人材育成、DX・IT、コンサル、マーケの経験を踏まえて、人材教育の新たなアプローチを探求中 明大法なのに齋藤孝ゼミ🤣 教免3種ホルダー イノベーション融合学会専務理事 教育研究家、モノカキの時は、「富士 翔大郎」と言います。天才トム・ショルツの「BOSTON」と「マニュアル車」「海外ドラマ」をこよなく愛する静岡県民
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