十八世紀ヨーロッパの山師たちを巡る対話:フリーメイソンと外交革命

2018.02.17

開発秘話

十八世紀ヨーロッパの山師たちを巡る対話:フリーメイソンと外交革命

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/十八世紀、メイソンリーという新たな国際ネットワークの中で、新旧両教の対立は大きく構図を変え、北米、南米、エジプトへの近代十字軍の構想とともに、えたいの知れない山師たちが各地で暗躍するようになる。/

「逆に十八世紀になって急に没落する国もある。たとえば、フランス。先代の太陽王ルイ十四世ががんばりすぎた。一七一一年、七三歳のときに、王太子のルイが四九歳で先に亡くなってしまって、一五年に自分が死んだら、五歳の孫がルイ十五世として即位しなければならなかった」「でも、そのおかげで、パリ市の都市貴族サロンも息を吹き返したんだろ」「ただでさえ、宮殿はあいかわらずヴェルサイユのままだったから、パリ市は、さらに自由になった。一七一〇年に始まったランベール侯爵夫人のサロンは、モンテスキューを中心に科学の議論で活気に溢れていたし、タンサン女男爵は、有力者の愛人たちを集めて情報を交換し、一七三三年に投資サロンを開いて大儲けしていた」「そんなフランスに支援を受けようとしていたイングランド・スコットランドのジャコバイトも、運が無いな」


フランツ一世の波瀾万丈

「もっとあわれなのは、フランス衰退のとばっちりを受ける国だよ。モーゼル河流域のロートリンゲン公国と言えば、もとはと言えば八四三年にフランク王国が三分割されてできたものだ。ところが、東フランク王国が神聖ローマ帝国になり、西フランク王国がフランス王国になると、両国の狭間にあって奪い合いの係争地になってしまった。名目上は神聖ローマ帝国の臣下だが、事実上はフランス王国の支配。ここに自然科学マニアのフランツ一世二三歳が出てきて、一七三一年、ネーデルラントハーグ市のロンドン大ロッジ系の臨時ロッジでメイソンに入った」「オーストリアもフランスも、ガチガチのカトリック国だから、大ブリテンや、その王の出身国のハノーファー、ネーデルラントと組んで、なんとか生き残ろうとしたんだろうな」

「これが、思わぬ展開になるんだ。ポーランド継承戦争が一七三三年から三五年に起こって、オーストリアの押すザクセン選帝公がポーランド王を兼任した」「ザクセン選帝公って、ルターを最初に匿ったルター派だろ。ポーランドは、それこそガチガチのカトリック国じゃないのか」「ルター派からカトリックに改宗したんだよ」「ずいぶんいいかげんだなぁ」「それより問題は、破れたポーランド貴族スタニスワフだ。支援していたフランスに亡命し、ロレーヌ公国を与えられた」「なにか問題があるのか?」「ロレーヌ公国とロートリンゲン公国は同じものだよ」「フランツ一世が神聖ローマ帝国のロートリンゲン公としてちゃんといるのに、そこを事実上の支配下だからと言って、フランスがロレーヌとして、かってに別のやつにやってしまったというのか?」「そういうこと」「フランツ一世はどうなった?」「メディチ家断絶で空白になっていたフィレンツェのトスカーナ大公国へ追いやられた」「かわいそうだな」

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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