十八世紀ヨーロッパの山師たちを巡る対話:フリーメイソンと外交革命

2018.02.17

開発秘話

十八世紀ヨーロッパの山師たちを巡る対話:フリーメイソンと外交革命

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/十八世紀、メイソンリーという新たな国際ネットワークの中で、新旧両教の対立は大きく構図を変え、北米、南米、エジプトへの近代十字軍の構想とともに、えたいの知れない山師たちが各地で暗躍するようになる。/


一七五六年の外交革命

「その点、マリアテレジアは潔かったな」「一七五六年の外交革命のことか?」「女帝が革命ですか?」「革命ったって階級闘争じゃないよ。マリア・テレジアのオーストリアは、八四三年のフランク王国三分以来、ずっと西のフランスと対立してきた。にもかかわらず、先のオーストリア継承戦争で新興国プロシアに奪われたシレジアを奪還するために、宿敵フランスと手を組んで、一七五六年に、七年戦争を起こしたんだ」「オーストリア側の都合はわかりますけれど、フランスはなんでそれに応じたんです?」「これまた一三三七年の百年戦争以来のフランスの宿敵、大ブリテンがプロシアと組んだからだよ。大ブリテンの王ジョージ二世は、ハノーファー選帝公でもあり、プロシアの「大王」フリードリッヒ二世の伯父だったんだ。おまけに、ホモのフリードリッヒ二世が、ルイ十五世の公妾ポンパドール女侯爵をバイタとバカにしていた。へたにスクレ・ドゥ・ロワ(王の密偵)なんていう諜報機関を持っているから、悪口まで筒抜けだったんだよ。ヴォルテールがなんとか丸く収めようとフリードリッヒ二世のところまで出向いていったが、かえって事態は悪化して開戦」「つまり、七年戦争か」「ホモだ、バイタだ、って、罵り合って、大国が戦争ですか。最低の外交ですね」

「でも、この外交革命は、もう一つの外交革命でもあったんだ。十一世紀の以来の聖職者叙任権闘争と北イタリア教皇領の問題以来、ずっと皇帝と教皇は、対立してきた。一七四〇年から四八年にかけてのオーストリア継承戦争のときも、カトリック教会は、フランスやバイエルンとともにオーストリアと戦ってきた。ところが、今回は、オーストリアがカトリックのフランスと組んだ。それで、教会も反プロシアということになった。おまけにポーランド継承戦争でカトリックに改宗したザクセン選帝公国も、今回は反プロシアだ」「新興国に対する守旧勢力の大連合ですね」「成り上がり大国のプロシアがいちばん恐れていた構図だろうな」

「ポンパドール女侯爵なんかも、タンサン女男爵の弟子として無神論者だったくせに、神妙にカトリックのふりをし始めるし、聖堂騎士団末裔説で反王権・反カトリックだったフランス大ロッジも、第五代大統領にブルボン家クレモン公ルイを担いで、五六年には反大ブリテンで大政翼賛のフランス国民大ロッジ(グランロージェ・ナショナル・ドゥ・フランス)になる」「みんな勝ち馬に乗ろうっていうだけだろ」「うまくすれば、インドや新大陸における巨大な大ブリテン利権を横取りできるんだから、一枚、かんでおこうという連中が出てきても不思議じゃないよ」「カトリックにしても、反カトリックにしても、宗派なんか、もうどうでもいいという感じですね」

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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