『続・続・最後から二番目の恋』があまりにひどい

2025.06.19

ライフ・ソーシャル

『続・続・最後から二番目の恋』があまりにひどい

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/現実は、ただ漫然と60歳、後進が迫ってきた、なんていう生やさしい状況ではない。年金は当てにならない。公務員は、人員も予算も、削減削減。ライターなんか、有名エッセイストですら喰い詰めていて、ネットで口に糊する状況。腫瘍が消えたって、50も過ぎれば、血圧だの、関節だの、あちこち体にガタが来て、無理がきかなくなる方が当たり前。まして潰れかかったテレビ局の中なんか、個人個人とりひとりが生き残りを賭けて、もうギスギス。テレビが、このいまの現実から目を背けて、ドラマを作る方がどうかしている。/

鎌倉は先生方や友人知人も多く、土地勘もあるので、2012年、14年のシリーズも見ていたが、今回の第三シリーズは、続編とも思えないほど劣化している。率も取れていない。というか、だだ下がり。岡田惠和の作品とは、とうてい思えない。こんな甘い磨き込みで企画が通ってしまったなんて、フジテレビの劣化の象徴のようだ。会議室でアクセサリを盛り付けまくった日産の車のように、パッケージとして成り立っていない。やたら演説だの、一人語りだので、山田太一の学級会かよ、と思った。

60歳を迎えて、というテーマはわかる。だが、これがシリーズの芯として形になっていない。だから、エピソードの寄せ集めにしかならない。そもそも、これまでのシリーズの、ただの延長線でしかなく、わざわざ第三シリーズを企画した意味がない。

『最後から二番目』は、当初、独り者の女性プロデューサー、千明が、長倉一家の隣に越してきたことから始まっている。あれこれあって、十年目に第三シリーズを起こすなら、この隣の関係、長倉和平と千明の、結婚するでなし、喧嘩別れするでもない、付かず離れずの「隣」の関係の危機でなければならなかった。

たとえば、老朽化耐震不十分でも、土砂崩れ整備でも、津波対策避難路確保でもいい。実際、千明の家は、実物は建て替えられている。ドラマとしては、全体を貫く芯を長倉カフェ移転話にすべきだった。市役所勤めの和平は、その話を断れない、それに市長が絡む、だが、亡き市役所クレーマーの一条さんの家が空いている、で、そこに魅力的な「出戻り未亡人」がいて、千明とはどうなる、というように。つまり、ドラマ全体の展開に、しっかりした有機的な結びつきがないと、ひとつのドラマにならない。

そもそも、第三シリーズ、時代の風を読めていない。まだバブルの名残りがあった第一シリーズだからこそ、鎌倉カフェ、テレビ局、音楽業界、雑誌編集者、等々がきらきらして見えた。だが、あれから10年、時代は変ったのだ。鎌倉はオーバーツーリスムの渋滞で身動きが取れない。静かで落ち着いていた路地裏まで外国人観光客が入り込む。まして、テレビは不祥事続き。CDは売れない、雑誌なんか廃刊だらけ。

ところが、和平は、定年退職後の生活の不安も無く、市長候補の話さえある。長女は、雑誌ライターとして大成功。次男は、双子の子供も生まれ、病気完治で元気いっぱい。次女は、千明のコネで、中堅脚本家の地位を確立。千明にしても、長倉家次女に独断で脚本を乗り換えながら、前の脚本家も含めて、みんな和気藹々の仲良しチームだと。世間をバカにしているのか、とさえ思える幸せぶり。いいかげん腹が立つくらいだ。

Ads by Google

この記事が気に入ったらいいね!しよう
INSIGHT NOW!の最新記事をお届けします

純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

フォロー フォローして純丘曜彰 教授博士の新着記事を受け取る

一歩先を行く最新ビジネス記事を受け取る

ログイン

この機能をご利用いただくにはログインが必要です。

ご登録いただいたメールアドレス、パスワードを入力してログインしてください。

パスワードをお忘れの方

フェイスブックのアカウントでもログインできます。

INSIGHT NOW!のご利用規約プライバシーポリシーーが適用されます。
INSIGHT NOW!が無断でタイムラインに投稿することはありません。