大学事始:蘭学から英学、ドイツ学へ

2018.08.17

開発秘話

大学事始:蘭学から英学、ドイツ学へ

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/いまの東京大学の前身は、戦前の東京帝国大学。しかし、それよりさらに前に、旧「東京大学」があった。1877年(明治10年)4月、いまだ九州で西郷隆盛の西南戦争が続く中、それはできた。/

フォイアーバッハ(1804~72、37歳)は、ヘーゲルの観念論を反転し、社会の現実が空虚な観念を生み出し、かえってそれに支配されるようになる、という疎外論的唯物論を『キリスト教の本質』(1841)で唱え、キリスト教を批判。1844年、『創造の自然史の痕跡』が出て、国際的なベストセラーになる。著者は匿名。じつは、別の出版社のオーナー、チェンバース(1802~71、42歳)。これは、キリスト教の天地創造説を科学的に辿ろうという野心作。宇宙の星雲から太陽系ができ、さまざまなできそこないを経て、人間が生まれてきた、と言う。奇妙な生物の化石や、現存するサルのような下等生物は、その過程の痕跡とされる。(ただし、すでに分岐説であり、サルはサルなりに進化したものであって、サルから人間が進化した、とはしていない。)

マルクス(1818~83、41歳)は、『経済学批判』(1859)において、フォアーバッハの疎外論を徹底して地上の問題とし、生産力の進化によって、逆に人間が生産力に支配され、階級闘争が生まれて、いずれ共産主義に至る、とした。ダーウィン(1809~82、50歳)は、測量船ビーグル号での世界航海(1831~36)で、世界各地の種の多様性を痛感し、『種の起源』(1859)として、要不要ではなく、自然発生的な個体差が、その時、その場での環境適応の如何で世代淘汰され、種として分岐し固定していく、と主張した。また、スペンサー(1820~1903)は、『総合哲学体系』(1862)において、社会全体をひとつの生物的な有機体と捉え、ヘーゲルのように、単純な集団から複雑なシステムへ、つまり、強制的軍事社会から自発的産業社会へ進化する、と考え、自由放任によってこそ自然淘汰、適者生存が図られるとした。

つまり、ダーウィンの学説は、種の直線進化論ではなく、種の多様分岐論であり、人間がサルから進化した、などというのは、もとより彼の思想ではない。また、ダーウィンにしても、スペンサーにしても、個体差こそが環境適応の如何で自然淘汰を引き起こし、それぞれの場で異なる適者生存を可能にする、と考えており、天賦の平等均一や環境の全土統一を根本から否定している。くわえて、両者とも、人為的で強制的な関与は、自然淘汰による多様性への分岐進化を撹乱阻害する、と考えている。だが、福沢のような平等人権思想家、大久保(78年暗殺)や伊藤のような有司専制政治家の下では、これらは、東大にあっても外山が表立って主張できるような思想ではなかった。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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