大学事始:蘭学から英学、ドイツ学へ

2018.08.17

開発秘話

大学事始:蘭学から英学、ドイツ学へ

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/いまの東京大学の前身は、戦前の東京帝国大学。しかし、それよりさらに前に、旧「東京大学」があった。1877年(明治10年)4月、いまだ九州で西郷隆盛の西南戦争が続く中、それはできた。/

73年9月、使節団が帰国。しかし、この留守中に、朝鮮が遅れて鎖国攘夷に傾き、日本とさえも断交。西郷隆盛らが強行交渉を試みようとしていた。また、71年末に漂流した琉球民54人が台湾原住民に殺害される事件があり、台湾を統括する清に抗議したが、原住民については責任外としていた。帰国した大久保らは、朝鮮については両国ともに欧米の餌食となることを恐れ、反対。西郷下野。しかし、翌74年4月、台湾には、大隈(36歳)、西郷従道(隆盛の弟)らに命じて、約六千名を出兵。木戸(41歳)は、この対応の矛盾を是とせず、下野。

このころ、すでにカトリック系パリ外国宣教会、ロシア正教会などの聖職者も、自国居留者のためと称して函館や横浜、長崎などに入り込んでおり、語学教育を名目に、以前からひそかに信者を増やし続けていた。そして、73年の解禁とともに、クリスチャンは爆発的に増大。だが、その入信は、少なからず打算欲得に基づいていた。彼らの多くは、敗北没落した旧幕軍側諸藩の武士やその子弟。海外と結びつくことで、再浮上しようと考えた。また、彼らの中には、武士の習いで民衆を導く宣教師になった者も少なくなく、豊富な海外教会資金を背景に、キリスト教は劇的な速度で日本に裾野を拡げていく。しかし、これは幕藩政府を震撼させた。彼らは不平士族そのものであり、西郷や木戸の下野もあり、政治運動化するのは時間の問題だったからだ。実際、クリスチャンは、天帝を信奉し、天皇を否定。とくにプロテスタント系は、士族の革命的な自由民権運動を鼓舞。

先に大ベストセラー『西国立志編』を出した徳川家駿府藩静岡学問所教授中村正直(40歳)は、ミルの『自由論』(1859)を翻訳し、72年2月、『自由之理』としてを出版。これは、個人と文明の発展のために、他者に危害を与えないかぎり、政府が干渉すべきではない、とするものであるが、同時に、粗雑な民主主義において、多数が少数の自由を圧迫することを危惧している。政府は、この徳川家の学問所が士族の自由民権運動の拠点となることを恐れ、同年6月、中村は政府に登用、主だった教授や学生たちも引き抜く。そして、8月の学制発布で、全国の私塾を禁止。静岡学問所も廃校とした。

70年から73年まで米国の代理公使を務めていた森有礼(27歳)は、学術や政策の意見交換をする学会の必要性を感じ、帰国後、西周(45歳)、津田正道(45歳)、中村正直(42歳)、福沢諭吉(39歳)、加藤弘之(1836~1916、38歳、洋学侍講)ら、留学経験者や洋学者たちにに呼びかけ、「明六社」を設立し、不平士族による佐賀の乱暴発の後、74年3月から雑誌を発行。このころ、清を含む七カ国に、すでに380名以上が留学していた。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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