中世の春:ヨーロッパとイスラム圏の奇妙な協調(前編)

画像: シャルルマーニュの使者を迎えるアッラシード

2022.01.14

ライフ・ソーシャル

中世の春:ヨーロッパとイスラム圏の奇妙な協調(前編)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/十字軍でいきなりカトリックがイスラム征伐に乗り出したわけではない。じつはむしろ、ムハンマド無くしてカール大帝無し、と言われるくらい、イスラム圏とヨーロッパは密接な関係、いや、それ以上の友好関係にあった。/

J もう中も外もがたがたですね。

ところが、こういう時代こそ、文化が熟成するものでね。マアムーンは、本人が詩人で幾何学マニアという教養人で、父アッラシードの創った首都バグダート市の私的図書館「知恵の館」を公的なアカデミーとして門戸を開き、アルファザーリ親子に続けて、遠く中央アジアから万能の天才学者フワーリズミ(c780~c850)を招いて館長に据え、代数学や天文学、地理学の研究を行わせ、また、博覧強記の哲学者アルキンディ(c801~c873)を地元バグダード市から抜擢。アリストテレスに倣って百科全書的な知をめざします。

このために、アルキンディは、アッシリア人ネストリウス派キリスト教徒の医師、「ヨハンニティウス」として知られるイツハーク(c808~c73)をはじめとして、さらに多くのギリシア語学者を集めて翻訳を進め、プラトンやアリストテレスの哲学、プトレマイオスの数学、ピポクラテスやガレノスの医学をイスラム世界に紹介していきます。

J ローマ人が軍事バカで、アレキサンドリア図書館を三世紀に自分たちの戦争で破壊してしまいましたからね。そこで散逸してしまったギリシア文化を知恵の館が再収拾して後継者となったわけですね。それにしても、フワーリズミとか、アルキンディとか、ダヴィンチを先取りするような万能の天才をよく集めたものですね。

このころ、ヨーロッパでも、大きな変化が起こっていました。北方のデンマークやスカンジナヴィア半島の狭い氷の入り江に閉じ込められていたゲルマン人ノルマン族も、中世温暖期になると、食糧事情が改善して人口が増大し、それで、北海を越え、西の大ブリテン島やアイルランド島の沿岸部を侵略。カール大帝のフランク王国が拡大すると、むしろ逆に大陸側に進出。

J でも、そんな辺境の連中より、フランク王国の方が強かったのでは?

いや、ノルマン族は、独特のヴァイキング(襲奪)船を使った。これは、底の平らな箱船で、前後両方に反り上がった竜骨船首が付いていて、船長20メートルもありながら、中央の一本マスト以外、船室もなにも無い。これに百人近くが乗り込み、外洋では乗員や荷物を後にずらして船尾竜骨部を沈め、キール抵抗と横風で進んだ。そして、河口からは、水平にして、オールで遡上。この船は喫水が浅いので、かなり上流の支流まで入り込め、いきなり内陸の都市を襲撃略奪した。

J うわぁ、沿岸はもちろん、河沿いの都市は、みんなダメですね。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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