中世から近代へ:文明論の視座から

2021.09.26

ライフ・ソーシャル

中世から近代へ:文明論の視座から

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/コロナとともに、「近代」が終わろうとしている。しかし、それは何だったのか、次はどうなるのか。それを読み解く鍵は、中世が終わり、近代が始まったころの世界の大変革を理解することにある。/

/コロナとともに、「近代」が終わろうとしている。しかし、それは何だったのか、次はどうなるのか。それを読み解く鍵は、中世が終わり、近代が始まったころの世界の大変革を理解することにある。/


 大きく今に至る「近代」と言っても、さらに宗教に代って絶対君主制が成立した《近世》、ナポレオン戦争を経て産業革命と資本主義が成長した《近代》、そして、二つの世界大戦を経て民主主義と人権尊重がうたわれる《現代》、と、大きく三つの時代に分けられ、哲学もまた、それぞれの時代に応じて、当時の課題に対する試案を提起し、さまざまに議論されるところとなりました。

 《近世》で問題となったのが、宗教に代わる知の源泉です。それまで、人間は考えるな、教会の言うことに従っておけ、という姿勢だったのに対し、近世になると、みずから知の根拠を打ち立てる必要を生じました。ここにおいて、合理性と実経験と二つの知の源泉が考えられ、それぞれの利点欠点から、SFのような不思議な世界観が構築されました。

 しかし、《近代》になると、なんとでもできる、なんにでもなれる世界や自分の可塑性が自覚されます。そして、このことは、世界をどうすべきか、自分は何になるべきか、という、まったく新しい問題に、すべての人が直面することになります。そして、哲学もまた、理想と現実の間の亀裂にもがき苦しむことになります。

 そして、《現代》において、巨大化しすぎた政治や経済は、世界大戦、難民紛争、環境破壊、経済危機などをもたらし、また、多様な文化と倫理の混乱など、社会も統一性を失い、さらに、貧富格差や疫病蔓延も脅威となり、これらの多くの問題が複雑に絡み合って、我々はいま、先の見通しの立たない壁に直面しています。つまり、哲学は、どこか遠くの話ではなく、いま、我々がその直中に立たされている課題そのものなのです。


フランスの台頭

 十字軍による先進のインド洋イスラム世界との接触から、ヨーロッパの硬直した中世秩序は崩壊し、ルネサンスという経済的・文化的な繁栄の時代が訪れました。そして、地中海東方貿易のイタリア、アフリカ経由インド貿易のポルトガル、中南米侵略貿易のスペインが、あいついでこの繁栄を享受していきます。

 一方、いなかのフランスでは、宗教改革の後、王室が旧教を堅持したのに対して、「ユグノー」と呼ばれる新教カルヴァン派が一部の領主貴族と中産階級を中心に普及し、ついには「ユグノー戦争」(1562~98)という内乱にまで発展してしまいました。そして、この結果、ユグノーの指導者アンリ四世(1553~即位89~1610)が旧教に改宗して王位に就き、ブルボン朝を開くという妥協的解決が図られ、これによってフランスは近世的絶対王政へと歩み出すことができました。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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