中世の春:ヨーロッパとイスラム圏の奇妙な協調(前編)

画像: シャルルマーニュの使者を迎えるアッラシード

2022.01.14

ライフ・ソーシャル

中世の春:ヨーロッパとイスラム圏の奇妙な協調(前編)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/十字軍でいきなりカトリックがイスラム征伐に乗り出したわけではない。じつはむしろ、ムハンマド無くしてカール大帝無し、と言われるくらい、イスラム圏とヨーロッパは密接な関係、いや、それ以上の友好関係にあった。/

第一章 春の到来

13.1.1. 中世温暖期(~八世紀前半)

J さあ、先生、いよいよ十字軍ですね。

いやいや、その前に、「暗黒時代」と呼ばれる時代の闇の中をのぞいてみましょう。十字軍でいきなりカトリックがイスラム征伐に乗り出したわけではありません。じつはむしろ、ムハンマド無くしてカール大帝無し、と言われるくらい、イスラム圏とヨーロッパは密接な関係、いや、それ以上の友好関係にあったんです。

J え、どういうことですか?

まず、七世紀の世界情勢から見ていきましょう。六世紀半ばに東ローマ皇帝ユスティニアヌス一世が、北アフリカのゲルマン人ヴァンダル王国など、地中海を再征服したものの、その後の衰退疲弊で、かえって七世紀の西欧は無政府状態に陥ってしまいました。

くわえて、再征服を免れたゲルマン人のフランク王国も、分割相続と宮宰政治のせいで、大きく四域に分かれて争い続ける。イタリアは、それまで東ローマに協力していたゲルマン人ランゴバルト族が奪取してイタリア王に。教会網のヒエラルキアで教皇グレゴリウス一世がかろうじて西ヨーロッパ全域を束ねたものの、これらの脅威を前に、その後の七世紀のローマ教皇は、あいかわらず東ローマ皇帝の威力に頼らざるをえませんでした。

一方、660年、ムアーウィヤのカリフ(後継指導者)僭称で始まったウマイヤ朝は、特権的アラブ人が原住民を遊牧する、という、それ以前の正統カリフたちの方針の延長線にあり、80年の彼の死で、世襲の是非から内乱になるも、92年に分家筋のアブドゥルマリクが五代目ウマイヤ朝カリフとして再統一。東ローマ帝国を牽制しつつ、貨幣発行や交通整備でアラブ帝国としての中央集権化を進めます。

J 同じ宗教的中央集権化でも、イスラムの方が勢いがあったようですね。

で、ヨーロッパの暗黒時代ですが、もともとヨーロッパなんて、真っ暗な森ばかり。でも、その丘の上や川の中州にローマ式の強固な石積みの教会と修道院ができ、それを中心にして移住してきたゲルマン人たちが粗末な住居を建て、それらの周囲に壁を築いた。その外側を畑として開拓しましたが、それより先は、あいかわらず山賊とオオカミと悪魔魔女が跋扈する暗い森。だから、日が暮れたら、壁の中に戻らないといけない。それゆえ、教会の鐘が聞こえる範囲が村の限界。

J たしかに、西欧の街って、教会を中心に壁で囲まれていて、その外側は家もなにも無しにただ畑が広がっていて、街と街の間はぜんぶ森ですね。教会の外に救い無し、っていうのも、いざというときに石造りの教会に逃げ込めるのでないと助からない、っていう意味で、リアルな感覚だったんでしょうね。『三匹の子豚』なんていうのも、中世からの寓話なのかな。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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