中世の春:ヨーロッパとイスラム圏の奇妙な協調(前編)

画像: シャルルマーニュの使者を迎えるアッラシード

2022.01.14

ライフ・ソーシャル

中世の春:ヨーロッパとイスラム圏の奇妙な協調(前編)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/十字軍でいきなりカトリックがイスラム征伐に乗り出したわけではない。じつはむしろ、ムハンマド無くしてカール大帝無し、と言われるくらい、イスラム圏とヨーロッパは密接な関係、いや、それ以上の友好関係にあった。/

J アッバース帝国同様、フランク王国も公用語の統一が文化発展の鍵になったようですね。

とはいえ、急進的な変化は、反発も招きます。アッバース帝国において、知識人(ウラマー)のムウタズィラ派は、思弁的な神学から、神は唯一絶対で公正であり、したがって、ウンマ(信徒共同体)もまた唯一絶対で公正である、として、現状を追認。しかし、庶民では、古い伝承に従う生活こそ神との一体化である、として陶酔する保守的な「伝承(ハディース)の徒」が流行。

そこで、法学者シャーフィイー(767~820)は、法源を『クルアーン』、スンナ(慣例)、キヤース(類推)、イジュマー(合意)の四つとし、とくに四番目のイジュマーによって、柔軟な対応を図ります。しかし、シーア派は、法解釈は、アリーの子孫、イマーム(霊的指導者)の専権であると主張し、政治を離れ、『クルアーン』の隠された意味、バーティンを伝える神秘主義に傾倒。また、スンニ派内部においても、イジュマー(合意)が知識人たち(ウラマー)の合意なのか、それとも、大衆庶民の合意なのか、すぐに揉め始めます。

J みんなで決めよう、なんて、きれいごと言っても、こんな大帝国、そうかんたんにまとまるわけないですよ。


13.1.3. 知恵の館とパリ宮廷学校(九世紀前半)

たしかに、イジュマー(合意)主義は、広大なアッバース大帝国にはムリがありました。宗派ごと、地方ごとにまったく異なる合意が成り立ってきて対立し、イスラムの根幹となる唯一の神の唯一のウンマ、共同体が分裂してきてしまったのです。

J つまり、ばらばらの国になってしまうということ?

このころになると、周辺部の軍事総督、アミールたちが管轄地を私領化して独立性を強めていきます。たとえば、アフリカ北岸チュニジアでは、中央アジア・バクトリア人総督(アミール)が800年にアグラブ朝を興します。とはいえ、中央のアッバース朝に逆らうわけではなく、むしろその権威を借り、たがいに妥協的な関係を維持。

809年に第五代アッラシードが亡くなると、母の血筋の高い弟アミーンが第六代カリフになる一方、兄マアムーン(786~位813~33)が帝国東半ペルシアを相続。アラブ人とペルシア人の内戦となり、弟アミーンを殺害してマアムーンが第七代カリフとなりましたが、シーア派も取り込んだせいで、逆にスンニ派の反乱が頻発。イラン東部では、アラブ人総督(アミール)が821年にターヒル朝として独立してしまいます。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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