中世の春:ヨーロッパとイスラム圏の奇妙な協調(前編)

画像: シャルルマーニュの使者を迎えるアッラシード

2022.01.14

ライフ・ソーシャル

中世の春:ヨーロッパとイスラム圏の奇妙な協調(前編)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/十字軍でいきなりカトリックがイスラム征伐に乗り出したわけではない。じつはむしろ、ムハンマド無くしてカール大帝無し、と言われるくらい、イスラム圏とヨーロッパは密接な関係、いや、それ以上の友好関係にあった。/

イスラムが強調実践するまでもなく、モーゼの十戒からユダヤ・キリスト教でも偶像崇拝が禁じられています。しかし、古代ギリシア・ローマの神像礼拝の影響や、文字の読めないゲルマン人の布教のために、キリスト教では、教会堂はもちろん街角や一般家庭内までイエス・キリストの十字架像が掛けられ、受難画や聖人画、聖遺物が溢れかえって、礼拝の対象とされていました。というのも、布教という名での聖像の製造販売こそ、移住ゲルマン人相手の修道院の最大の収益ビジネスだったからです。そして、イコノクラスムは、帝国に寄生して荘園私領を開拓買収し続ける修道院勢力を弱体化することが、ほんとうの目的でした。

J 十字架とか、敬虔そうに見えて、アクセサリーとしてもかっこいいですからね。最近も、キリスト教徒でもないくせに、首から十字架をかけているひと、いっぱいいますよ。

でも、皇帝直下のコンスタンティノープル教会はともかく、修道院を束ねる地方教会、とくにローマ教会は、イコノクラスムに激しく反発します。同じころ、フランク王国では、敗残兵をかき集めて蜂起した北東部宮宰の庶子、若き「鉄槌」カール、カール・マルテル(c688~741)が、部族内対抗勢力と戦って四域をまとめつつ、732年にはトゥール・ポワティエ間の戦いでウマイヤ朝イスラム帝国を撃退。その後、フランク王国の王は空位となり、彼が実質的な支配者となります。

歴代のローマ教皇たちは、この「鉄槌」カールの活躍を見て、イコノクラスムで高圧的な東ローマ皇帝への依存から、自前で西ローマ皇帝を復活させて傀儡として利用する方針に転換。ベネディクト修道会出身のボニファティウス(c675~754)に、ゲルマニア伝道のミッションを与え、いまだに嵐神ヴォータンを中心とする多神教を侵攻するゲルマン人たちをキリスト教へ改宗させていくとともに、「鉄槌」カールの宮廷に取り入ります。

J でも、利用される「鉄槌」カールの方にメリットが無いでしょ。

いや、フランク族の中がぐちゃぐちゃで、一族の中で王としての絶対的な正当性を打ち立てる必要があったんです。おりしも、カール・マルテルが741年に死去。分割相続と兄弟争いの末、ピピン三世(714~位51~68)が全土を再掌握。教皇が支援して王族たちの反対を押し切り、751年、彼を新たな王として、カロリング朝を開かせます。そして、ピピン三世は、教皇に対する返礼として、東ローマ皇帝からイタリア王とされていたランゴバルト王国を倒し、その領土を寄進しました。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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