『徒然草』の執筆背景:脱サラとFIREの先駆者(2)

2021.09.09

ライフ・ソーシャル

『徒然草』の執筆背景:脱サラとFIREの先駆者(2)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/当時、私度僧でも功績によって僧官になる道があり、兼好もまた二十代後半で出家して寄進斡旋や和歌名声でこの道をもくろむも、すでに僧籍は寄進貴族の子女に占められており、兼好は形ばかりの仏道に甘んじる無行で開き直る。しかし、四十代後半、倒幕による命の危機を感じるに至って、わずか数年で『徒然草』を書き上げる。/

くわえて、現世のみが絶対であるとして、これを肯定する本覚思想と違って、兼好は極楽や地獄を本気で信じていないにしても、すくなくとも方便として無常の死から逆算して現世を考えている。(「人はただ、無常の身に迫りぬることを心にひしと懸けて、束の間も忘るまじきなり。さらば、などかこの世の濁りも薄く、仏道を務むる心も、まめやかならざらん。」(49))

むしろ兼好は、仏道そのものについてはほとんど語らない『徒然草』にあって、「「生活・人事・技能・学問などの諸縁を止めよ」とこそ、『摩訶止観』にも侍れ。」(75)と、彼の拠って立つ仏典を珍しく明示しており、実際、この一節はたしかに同書第六章「方便」(方法論)の遠方便(外堀)の「一、具五縁」の「四、息諸縁務」(諸縁務を休む)に、「縁務有四。一、生活。二、人事(慶弔)。三、技能。四、学問。」(巻四下)としてある。

とくにこの「四、学問」の詳説では、「四、学問者、読誦、経論、問答、勝負、等、是也。領持記憶、心労志倦。言論往復、水濁珠昏。何仮更得修止観耶。此事、尚捨。況、前三務。」とされる。ここをもって、『摩訶止観』を講じた増賀に従い、兼好もまた既存仏教を「仏の御教に違ふらん」(1)と批判し、また、自分独自の無行こそ、真の仏道と解した。

このほか、75段の「世に従へば、心、外の塵に奪はれて惑ひやすく、人に交はれば、言葉、よその聞きに随ひて、さながら心にあらず。……分別、乱りに起こりて、得失、已む時なし。」が「経紀生方、触途紛糾。得一失一、喪道乱心。若勤営衆事、則随自意摂。」(巻四下)の意訳であるなど、『摩訶止観』が『徒然草』の元ネタの一つであったことはまちがいない。

『摩訶止観』は、中国天台宗開祖、智顗(ちぎ、537~597)の『法華玄義』『法華文句』と並ぶ「天台三大部」のひとつ。『法華玄義』は、『法華経』に基づいて仏教の多様な教説を体系的に整理するもの。『法華文句』は、『法華経』の解説注釈。これらに対して、『摩訶止観』は、修養の方法を明らかにしたもの。それも、一念三千の観心から、次第(修養階梯)を排し、一悟円頓を得ようとする。摩訶はサンスクリット語(インド文語、梵語)の音写で、偉大な、という意味。止観は、物事の永遠不変の涅槃相に観じ入ること。いわゆる禅定。「禅(禅那)」は、もともと「ジャーナ」の音写で、「サマーディ」の音写の「三昧」とほぼ同義。これは、いわゆる修行の座禅ではなく、世界の中での心身のあり方の問題であるから、行住坐臥、日常のすべてで禅定は成り立つ。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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