無常を追う日本的無常観

2022.07.21

ライフ・ソーシャル

無常を追う日本的無常観

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/渦中の権勢の栄枯盛衰を横目に眺め、これをむなしい「無常」と断ずる。ところが、その言葉は、まさに渦中の権勢そのものに向けて発せられ、それにマウンティングすることで、かえって自身を渦中の上に位置づけようとする試みになっている。兼好が筆を折り、世阿弥や利休が時の権力者から嫌われていくのも、この巧妙なマウンティングの企図が権力者側から読み解かれてしまったからだろう。/

だが、多分に負け惜しみとはいえ、長明は、この閑居にこそ安らぎを見つける。というのも、白河帝のころから百年、京はまた繰り返し災厄に襲われ、大火、地震、飢饉、疫病が続き、これに源平の争乱が重なった。長明は、これらの災厄を『方丈記』に記し、世の有為転変と距離のあることに感じ入る。そして、「冬は雪をあはれぶ。積り消ゆるさま、罪障に喩えつべし。」の一文は、白河の咲いて散る花に似て、心を時間超越的な高みに措いており、かつ、不遇だった身の罪障の「契り」と、閑居によるその消滅を眺める現世での諦観を示して、強いる人も無ければ念仏を唱えるまでもない、とする。

この長明と前後して、同じ後鳥羽院のころ、『平家物語』が作られた。作者は諸説あり、本が先か、語り唱いが先かもよくわからない。いずれにせよ、口伝と増補によって、今に伝わるいくつかの系となった。もとはあくまでたんなる軍記物のひとつだったが、その冒頭からその結末の滅びを前提としているために、読経に似た鎮魂の声明(しょうみょう)として人々を魅了した。

その冒頭の一句、「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり」は、源信の『往生要集』が出典である。三界(欲・物・念)六道の穢土を説いた後、話を浄土に転じるに当たって、祇園寺無常堂四隅のガラスの鐘がその音で『涅槃経』の「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」の偈を説き、これを聞けばたちまち浄土に至る、と言う。この偈は、生滅を滅してこそ、寂滅(涅槃の境地)が楽を為す、ということで、仏教の根幹にある縁起逆観にほかならない。そして、この句自体は、藤原摂関家の後宮政治に重点をおいた女流歴史物『栄花物語』第十七巻にもすでに出てくることから、仏門に限らず、巷間でもよく知られた逸話だったのだろう。

しかし、続く「盛者必衰」は、『仁王(にんのう)経』が出どころ。釈迦とコーサラ王の仏教政治対論で、鳩摩羅什の漢訳で知られ、護国三部経のひとつとして宮中や国分寺などで不動明王を祀って法会が行われた。その護国品(ほん)第五では、三界皆苦、国に何の常あらん、として、「盛者必衰、実者必虚」と説いて、戒める。つまり、仏門ではなく、あくまで為政者の心得として知られたもの。これが、『平家物語』に至って通時的歴史総括に転用され、先の白河の咲いて散る花、長明の積もりて消ゆる雪と同じく、時間超越的な視座の様相を帯びる。


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平安後期から、私領と化した荘園の恣意的な取り立てに対して農民の抵抗も生じ、生村を捨てて流民となる逃散も起こった。おりしも奈良興福寺、比叡延暦寺などの寺院もまた特権荘園を拡大し、これらの流民を取り込んで武装させ、その宗教的権威をもって、利権の自営のみならず、朝廷や摂関家に対して横暴な強訴を繰り返し、また、相互に闘争を重ねた。彼らは「僧兵」と呼ばれたが、もとより僧侶でない。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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