いかに西部は失われたか:ONCE UPON THE TIME IN THE WEST (『ウェスタン』1968)の時代

2023.07.02

ライフ・ソーシャル

いかに西部は失われたか:ONCE UPON THE TIME IN THE WEST (『ウェスタン』1968)の時代

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/西部開拓というと、西部劇で見るように、「インディアン」の襲撃を受けながらも、人々が西へ西へと押しかけ、太平洋にまで至って終わった、かのように思うかもしれない。だが、西部劇に出てくる無法の「西部」は、アリゾナ・ニューメキシコ準州での、1880年前後のほんの数年の出来事だった。/

西部開拓というと、西部劇で見るように、「インディアン」の襲撃を受けながらも、人々が西へ西へと押しかけ、太平洋にまで至って終わった、かのように思うかもしれない。だが、西部劇に出てくる無法の「西部」は、アリゾナ・ニューメキシコ準州での、1880年前後のほんの数年の出来事だった。


ナポレオンのルイジアナ売却

そもそも西部開拓の背景には、当時の複雑なヨーロッパ情勢が絡み合っている。英国では、17世紀の国教会による清教徒革命派の迫害、18世紀の清教徒による旧教徒王統派(ジャコバイト)の追放によって、新大陸東岸へのモザイク状の分裂移住が促進された。また、フランスでは、殺人罪を逃れてきたスコットランドの怪しい投機銀行家ジョン・ローが絶対君主ルイ14世に取り入り、会社を作って新大陸南岸からミシシッピー流域ルイジアナを探索。ここは、ネイティヴアメリカン「インディアン」の土地だったが、彼らとの交易は大きな利益をもたらした。

しかし、オーストリア・ハプスブルク家とプロシア・ツォレルン家の七年戦争(1756~63)において、フランスはオーストリア側、英国はプロシア側に付いたことで、新大陸でもアパラチア山脈を挟んでフレンチ・インディアン戦争となった。結果、プロシア・英国側が勝ったが、このころ英国は、インド太守たちの対立を治めるべく、東インド会社にインド総督を兼ねさせることになり、桁違いの資金を要することとなった。そのため、拡大した新大陸英国領の課税を強化したが、もともと本国と対立していた新大陸の清教徒や旧教徒は激怒。米国独立戦争(1775~83)となり、これをフランスが支援。

ところが、こんどは先の七年戦争敗退やこの独立支援で財政破綻したフランスで革命が起き、英国やスペイン、オーストリア、プロシアなど、周辺諸国と全面戦争になってしまう。この戦費調達のため、皇帝となったナポレオンは、自分のものでもないインディアンの地、ルイジアナを破格の安値で新生米国に丸ごと売却(1803)。また、本国スペインがナポレオンと戦っているすきに、新大陸の中南米で独立運動が高まり、1212年、メキシコが独立。

米国人は、アパラチア山脈を越え、中西部へ、さらにフランスから買い取ったつもりの、広大で肥沃なミシシッピー流域にまで入り込んだ。しかし、これらの地に住む「インディアン」たちにとっては、寝耳に水。おまけに、流域にはもともと馬がおらず、馬に乗って銃を撃ってきた米国人たちを前に弓矢と徒歩では彼らになすすべも無く、撤退に次ぐ撤退。そして、1830年には「インディアン移住法」で、彼らの土地とミシシッピー川以西とを「交換」することに決めてしまった。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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