無常を追う日本的無常観

2022.07.21

ライフ・ソーシャル

無常を追う日本的無常観

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/渦中の権勢の栄枯盛衰を横目に眺め、これをむなしい「無常」と断ずる。ところが、その言葉は、まさに渦中の権勢そのものに向けて発せられ、それにマウンティングすることで、かえって自身を渦中の上に位置づけようとする試みになっている。兼好が筆を折り、世阿弥や利休が時の権力者から嫌われていくのも、この巧妙なマウンティングの企図が権力者側から読み解かれてしまったからだろう。/

災厄と戦乱、そして僧侶ならぬ連中の寺院占拠に、文字どおりの末法を感じ、まともな僧侶の中には鎮護国家の山を下りて、民衆や武士に末法に応じた教えを説く者たちも現われる。法然(1133~1212)は、1175年、比叡山を出て、南無阿弥陀仏と念仏するだけでよいとする浄土宗を新たに興し、続く親鸞(1173~1262)は、さらに他力本願を徹底し、浄土真宗(一向宗)を開く。関東生まれの日蓮(1222~82)は、比叡山に遊学の後、むしろ念仏を難じて、鎮護国家の法華経に帰るように訴え、法華宗として鎌倉幕府に『立正安国論』(1260)を出す。また、一遍は、各地で修養の末、1279年、空也に倣って踊り念仏を始め、時宗となる。

重要なのは、これらがいずれも「末法無戒」として、従来の修養法(波羅蜜、布施・五戒(殺生・窃盗・不倫・虚言・飲酒の禁止)・忍耐・精進・瞑想・知解)が意味をなさなくなったと考え、国家公認(戒壇)の官僧ももはや名ばかりとして、その権威を否定したことである。実際、とくに新興の武士にあって、殺生こそむしろ本務であり、それで往生できないなどとする旧仏教では話にならなかった。

ただ、この末法感は、歴史の終焉をも意味した。それは、これから末法になるので備えよ、というような歴史転換や、盛えて衰える、というような歴史総括と違って、ここではもはやこの先が無い。この終わりも無い。永遠無限にこの災厄乱世が続く。浄土や法華世界を説くものの、自分自身の死のほかに、この穢土を離れようもない。

この新たな無時間的な無常観は、いまここのみとする新たに中国から伝わった禅宗を受け入れる素地ともなった。そこでは、現実にあると見える災厄乱世も虚妄錯覚にすぎず、穢土はもちろん浄土も無く、いまここの心の平安こそがすべてとされる。それはなにも仏教思想に限らない。定家の新古今以来、技巧のマニエリスムに凝り固まっていた歌の世界においても、京極為教(1227~79)・為兼(1254~1332)を中心に、心象を重視する京極派が反旗を翻し、勅撰の『玉葉和歌集』(1312)、『風雅和歌集』(1348)をまとめる。

その方針は、為兼の「思ひみる心のままに言の葉の 豊かに叶ふときぞ嬉しき」(『金玉歌合』58右)に端的に表されている。いまここの心をそのまま言葉で捉える。それは、写真のようにきわめて瞬間的なものであって、それが乗っている歴史、その前後の時間を問わない。「今日よりは春とは知りぬ しかりとて昨日に変はることはしもなし」(『立春百首』)にあるように、彼にとって時間の広がりは無味乾燥な知の領域に追いやられ、むしろ変化も流れもいまここの心境とは無関係であることが確認される。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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