無常を追う日本的無常観

2022.07.21

ライフ・ソーシャル

無常を追う日本的無常観

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/渦中の権勢の栄枯盛衰を横目に眺め、これをむなしい「無常」と断ずる。ところが、その言葉は、まさに渦中の権勢そのものに向けて発せられ、それにマウンティングすることで、かえって自身を渦中の上に位置づけようとする試みになっている。兼好が筆を折り、世阿弥や利休が時の権力者から嫌われていくのも、この巧妙なマウンティングの企図が権力者側から読み解かれてしまったからだろう。/

一方、北朝方の関白太政大臣、二条良基にあっては、もとより軽妙な技巧主義で、歌など「当座の遊興」(『筑波問答』)にすぎないと自嘲しつつも、さらに高度な万葉以来の連作合作の連歌を大成。そこでは百も千も歌が連なり、異なる詠み人たちの多様な切り口で、壮大なイメージの共演世界を生み出す。しかし、当座の即興性ということは、逆に言えば、その座のみをもって、その宴も完結滅却するということ。当代風に言えば、それはスリリングなライブの魅力であって、書き留めて読み直しても、それはもはや興冷めでしかない。本来の禅風よろしく、いまここの瞬間、瞬間のやりとりにすべてがあり、それより前も後も消え去る。

意図してか、結果としてか、能楽結界の緊、連歌即興の妙は、茶の湯に引き継がれる。茶室という世間から切り離された場にみずから上がり、由緒由来のある名物が陳ぜられ、それらを前に、当たり障りのない会話を亭主や同客と淀み無く広げてみせなければならない。すでに連歌師、肖柏(1443~1527)によって、連歌の席では「我が仏、隣の宝、婿舅、天下の軍(いくさ)、人の善悪(よしあし)」を語るなかれ、とされ、これが利休(1522~91)を介し、弟子の山上宗二(1544~90)によって茶の心得として記されている。これはまた、当代の信仰や財産、親族、政治、人評、これらの無常のよそごとを除いてなお残るもの、うつろう憂き世の物事に心を奪われる以前の自分にこそ、歴史と、そして同席者と直面する恒久のものがある、ということにほかならない。おのれに隠すところ、ごまかすところがあれば、それは作法や言葉を濁らせる。それゆえ、茶の湯は、禅の相互点検に等しく、人格と人格との真剣勝負ともなる。


疎まれ者としての庶民の無常観:江戸時代

無常を観じるには、差延が必要だ。昨日を知り、明日を思えばこそ、そのズレを心に感じる。京都に親しみ、地方にあればこそ、その距離を心に感じる。しかるに、「貧窮問答歌」の昔から、古来、その日暮らしの庶民には、文字どおり、もとよりその日その場のことしかない。そして、その次の日もまた、その日。その場を逃げ出しても、そこまた困窮の地。もはやその日その場でないとすれば、それはせいぜい死後の浄土。禅を聞くまでもなく、彼らはいまここで精一杯で、そこには「欠乏」だけが充実していた。

しかるに、江戸時代になると、城下町から代官が来る。自分たちも商品作物を売りに町へ行く。参勤交代が往来し、はるか遠方の商人が街道や廻船で行き来して、土産話をもたらす。地道に貯蓄すれば、一生に一度くらいは自分自身も富士や伊勢の講に出かけれられる。旅役者たちが歴史モノや時事モノを芝居で再現して伝え、能や狂言、浄瑠璃や歌舞伎を直接に見る機会は無くとも、謡いその他で筋は漏れ聞き、寺子屋で文字を学べば、木版刷りで浮世絵や草双紙で、全国の昔話、都会の流行も知ることができる。

Ads by Google

この記事が気に入ったらいいね!しよう
INSIGHT NOW!の最新記事をお届けします

純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

フォロー フォローして純丘曜彰 教授博士の新着記事を受け取る

一歩先を行く最新ビジネス記事を受け取る

ログイン

この機能をご利用いただくにはログインが必要です。

ご登録いただいたメールアドレス、パスワードを入力してログインしてください。

パスワードをお忘れの方

フェイスブックのアカウントでもログインできます。

INSIGHT NOW!のご利用規約プライバシーポリシーーが適用されます。
INSIGHT NOW!が無断でタイムラインに投稿することはありません。