江戸時代の庶民文化と社会対流

2020.08.27

ライフ・ソーシャル

江戸時代の庶民文化と社会対流

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

​/江戸時代、日本は驚くべき文化大国だった。いわゆる「鎖国」下で、天下泰平を享受して独自の文化を醸成し、武家、商家から庶民まで、男女を問わず、それぞれに芸事を嗜んだ。それは、硬直した身分制に対して、価値転倒的な気風を含み、実際、それは身分を超えた社会対流を可能にした。/

さらに良家の女子となると、三味線よりも琴を習った。しかし、これは、かなりカネを要した。また、武家奉公のために、囲碁将棋を習う女子も少なくなかった。これは、主人や奥様、御子息の勝負のお相手を直々に務めることで、他の奉公娘よりお近づきになれるからである。(家格の低い大久保利通も、囲碁の技量によってこそ、家主島津久光と会うことができた。)武陽隠士『世事見聞録』(1816)六巻には「裕福の町人の娘どもは、寵愛のあまりに踊り狂言を習わせ、錦金襴そのほか芝居役者同様の衣装を飾り、宿にて芝居を為す」というように、度を超したものもあったようである。

守貞によれば、江戸でも男子や、女子でも京阪では、武家に仕えないので、音曲を学ばない、と言う。しかし、武家の男子でも事情は似たようなもので、長男は親の身分を世襲できるが、それ以下の次男、三男は、身分そのものを得ることができない。だが、武芸や算術に長けていれば、いったん高位の武家の養子となって、家中の跡継の無い武家の養子や婿に入ることができた。段位は、家元による人格証明であり、これにさらに高位の武家の養子という社会的な裏書を得ることで、社会階層を移動することができたのである。

とはいえ、江戸時代、死別率、離婚率は異様に高かった。しかし、圧倒的に女性が少ないので、再婚はかんたんで、三行半も実際は再婚可の証明書として女性から要求した場合が少なくなかったようである。親元が健在であれば、一時的に実家に戻って良縁を求め直すことになるが、そうでなくとも、再婚までの場つなぎに、常磐津や長唄など、三味線の女師匠として、一人で身を立てていくことも可能だった。女師匠めあてに、いくらでも男の弟子が集まったからである。このため、幕末には女師匠の弟子取りは禁じられたりもしている。


江戸時代の文化的多元性

江戸時代というと、硬直した家制度の身分世襲社会を思い浮かべがちだが、文化の面では、自由闊達な文化が醸成され、それも、その硬直した身分世襲社会の価値を転倒するようなもの、すなわち、カブキ踊りや春画のようなカーニバル的バーレスク、心中話や仇討話のような私的抵抗の悲劇、身分を超えて対等に競い合うゲーム的な点取俳諧や七事式茶道、算術額奉納が人気だった。

これらの気風は浄瑠璃や歌舞伎、そして、寺子屋や三味線を介して庶民の生活の津々浦々まで浸透し、実際、女子教育や段位獲得と武家奉公、養子婚姻によって、家制度を正面から否定することなく、その身分世襲社会に風穴を開けるものとなっていた。だからこそ、江戸時代は、相応に安定して三百年近くも続くことができたのだろう。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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