フリーメイソンの成立事情を巡る対話:レン・ニュートン・ラムゼー

2018.01.28

開発秘話

フリーメイソンの成立事情を巡る対話:レン・ニュートン・ラムゼー

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/フリーメイソン(自営石工)のブルーロッジは、中世、さらには古代にまで遡る。だが、近代になって、各地のロッジを統括し、政治利用しようとするゼネコン連中や投資家連中が、その上にレッドロッジ(グランドロッジ)を作り、その支配権の争奪を始める。/

「同じころ、同年代の哲学者ライプニッツも、面倒に巻き込まれていた。ルター派の盟主、ザクセン選帝公国のライプツィヒで生まれ、同地の大学を出たばかりのライプニッツ二二歳は、六八年、マインツ大司教ヨハンフィリップ六三歳に仕えることになった」「あれ? ザクセン選帝公国出身ということは、ルター派ですよね」「マインツ大司教の方が純粋なカトリック側ではいられなかったんだよ。もともとヴュルブルク司教で、三十年戦争末の四七年にマインツ大司教を兼任したんだけど、マインツの街はフランス支配下で、同じカトリックなのに、明け渡してくれなかった」「それでドイツの新教勢力を頼ったというわけですか」「ライプニッツは、パリ市へ行って、ルイ十四世と交渉を重ねるのだけれど、うまくいかない。そして、二七歳のとき、七三年には大司教が亡くなって、こんどはカルヴァン派のブラウンシュヴァイクハノーファー公の下に。ただ、赴任地はハルツ銀山で技術改良、八五年からは図書館で家史編纂。典型的な閑職だ」「ああ、つらい。宮仕えだと、言われたところに行って、言われたことをやるしかないですからね」「でも、マインツやパリで交友は広がったし、ハルツや図書館で自分の研究の時間も取れた」

「ニュートンの方は?」「彼の入会と入れ替わりに、王認協会の中心となっていたジョン・ウィルキンズが、七二年十一月、五八歳で亡くなってしまった。とはいえ、王認協会は、実験家フック三七歳が事務長として手堅くまとめていたし、彼自身、グレシャム大学教授として幾何学や生物学など広範な研究成果を上げていた。一方、その親友のレンは、七三年、四〇歳でオックスフォード大学の教授職も辞して、ナイトの爵位を与えられ、王室建設局測量設計技師長に専念、いよいよ旧市街シティの中心、聖ポール大聖堂の再建に取りかかる」

「順調じゃないですか」「そうでもないよ。王弟ヨーク公ジェームズ二世が旧教カトリックに改宗していたことが発覚して、議会は態度を硬化させ、七三年の「審査律」で官僚官吏を国教徒に限定。七八年、イエズス会を追放されたタイタス・オーツという男が、清教徒革命からロンドン大火まで、すべて旧教イエズス会の隠謀だ、と言い出した。そんな話、最初はだれも信じなかったが、彼が訴えた治安判事が暗殺され、王弟妃がフランス宮廷と連絡を取り合っていたのが露見すると、市民たちが恐慌に陥って、旧教徒数十名を惨殺。王弟ジェームズ二世をはじめ、多くの旧教徒が、海外に亡命しなければならなかった」

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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