絶望は死に至る病

2017.11.19

ライフ・ソーシャル

絶望は死に至る病

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/情報過多の現代、我々はその時々の刺激に脊髄反射して、自分としての一貫性を欠いた、支離滅裂な自暴自棄に陥ってしまう。このため、現実から理想への希望が断絶した状態、すなわち、絶望となり、自分で自分を殺し潰すことになる。/

 しかし、この場合も、そんな天命どおりの自分になんか、そうそうかんたんになれるものではない。親が金持ちだとか、宝くじに当たるとか、現実から理想へ直線直行でつながる道があれば、苦労しない。だが、きみに与えられているものは、これしかないのだ。貧弱な現実に愚痴ばかり言っていても、なにも始まらない。また、限られた時間、限られた条件で、どっちも、あれもこれも、などということはできない。与えられているものを組み上げ、迂回でも遠回りでも、とにかくどうしたらこの現実から理想へ道をつなげるのか、自分の工夫と責任でなんとかするしかない。

 それでもなお、そこには現実と理想の間に絶対的な断絶がある。絶対的な絶望。だが、だからこそ、捨て身で神を信じることが求められる。自分にその天命が課せられている以上、その天命に最善を尽して身を投げ出すとき、それは自力を越え、神の力でかなえられるはず。そう信じて、断崖に飛び出す。これが、質的弁証法。

 なぜ絶望が死に至るのか。かなう見込みもない希望を夢見ているだけで、自分で生きようとしないから。たとえ物理的に生きているとしても、そんなのは生きているうちに入らない。自分が生きるには、過去の自分、現在の自分として、むしろ死んで、未来の自分として生きることが求められる。片足を前に出し、後足を蹴ってこそ、人は進む。立ち止まっているなら、電柱と同じ。あんな昨日の自分、こんな今日の自分のままでいるのは、みじめだ、と自覚し、身を投げ出してこそ、過去から未来へ、現実から希望へ、我々は橋を架け繋ぐことができる。それが生きるということ。

by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学vol.1 などがある。)

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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