会社とは何か:法人の存立根拠

画像: photo AC: はむぱん さん

2017.08.30

経営・マネジメント

会社とは何か:法人の存立根拠

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/教科書では、株式会社は、物的な営利の社団法人、と教えられる。しかし、その実際は、むしろ意思無能力な財団であって、その後見人としての支配権と正当性が、歴史的、社会的に揺らぎ続けている。/

はじめに:法人問題の背景

 現代の我々の社会において、法人企業、すなわち、「会社」は、あまりにありふれた存在となっている。そして、経営学においては、「会社」の存在を前提として、その財務や組織や戦略を問う。しかし、「会社」は、ほんとうに存在しているのか。存在しているとすれば、それは、いったいどのようにして存在しているのか。

 この問題は、別に新しい問題ではない。それどころか、むしろあまりに古く、それゆえ、その後、あまり問われなくなってしまった問題である。すなわち、この問題は、法哲学の分野において、十九世紀に、ドイツを中心としてさんざんに議論された。個人主義的なローマ法に依拠するサヴィニイらは、〈法人〉は、権利義務の帰属点として法律関係を処理するための法的技術であるにすぎない、として、《法人擬制説》を主張した。さらに、同じくローマ法を研究するイェーリンクなどに至っては、〈法人〉は、自然人の法律関係に完全に還元されうる、という《法人否認説》が主張される。

 これに対して、共同体主義的なゲルマン法の再生をもくろむギールケらは、有機性をもって集団と団体とを区別し、この有機的団体を実体として、《法人実在説》を提唱した。日本の現行法体系もまた、形式的には、《法人擬制説》に基づきつつも、内容的には、〈組合〉と〈社団〉とを区別し、〈社団〉を〈法人〉の基本構造とするという意味1で、この社団主義的な《法人実在説》に近い立場を採っていると理解することができる。

 この理論、たしかに整合的ではあるが、しかし、株主が社団を構成している、などというのは、株式が国際的な自由市場で活発に取引される今日において、あまりに実体と実感からかけ離れているのではないか。このような意味で考えるならば、この法人問題は、けっして古いものではない。というのも、この問題が法体系として整備された当時とは、あまりに社会状況が変わってしまっているからであり、それゆえ、今日の法人企業が、たしかに現行法体系に準則するとしても、むしろそのような過去の〈法人〉の形式に擬制しているだけであって、その本質と実体は、すでにまったく違うものに変貌している可能性があるからである。

 本章の目的は、議論の歴史的経緯を解明したり、日本の現行法体系を考察したりすることではない。我々の目的は、カント的な意味で、事実問題ではなく権利問題、歴史的経緯ではなく正当性根拠を問うことである。いかなる目的で、いかなる法律に準じてその法人が設立されたか、いかなる理由で、いかなる影響を受けてその法案が創設されたか、は、その法源に対する準則性において権利問題であるかのように考えられがちであるが、それは、あくまで準則に関する事実問題である。我々が問題にしたいのは、そうではなく、現代において、〈法人〉が存立しているとき、そこにいかなる理由があるのか、そもそも準則によって設立が認められる法律そのものの社会文化的正当性の根拠は何か、である。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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