唯心論と唯物論とフレームワークについて。

2009.11.17

経営・マネジメント

唯心論と唯物論とフレームワークについて。

伊藤 達夫
THOUGHT&INSIGHT株式会社 代表取締役

1年ぐらい前に、フレームワークに関してのセミナーをこのサイト主催でやりましたが、ぜんぜん伝わらなかったですね。まあ、時代のせい?私のせい?と思いつつ、そろそろこういう考え方を書いてもいいかな、という内容を書きます。

 心と、モノ。この2つは両方あると考えると自然かな、と。

 まあ、変にきっちり分けずに、アナログにグラデーション的に分かれていると考えるほうが、正しそうですが。

 でもね、そうすると、心はモノのありようを正しく認識できるのか?というのも問題になりますよね。

 人によって、どうも同じモノを見ても認識は違うようだ、というのはなんとなく正しいですよね。

 全く同じ認識を別の人間がしている保障はないですよね。そうすると、その違いはどこで生じるの?というのも問題になります。

 どうも、今のところ、正しくは認識できなさそう、というのがなんとなく正しい気がしますよね。

 で、人間の身体はモノにも属しているし、心にも属しているような気がする。

 どっちかにしか属していない認識主体があったら便利ですけどね。私は心しかありませんという人とか。まあ、「霊」みたいな概念はそういうところにあるのでしょう。肉体の束縛から解き放たれているというか、なんというか。

 肉体しかない認識主体なんてものはないのでしょうか?まあ、ないですね。カメラの映像は認識なのか?という問いもありますね。たぶん、認識ではないでしょう。

 認識する時点で、それは心があるのでは?というか意思があるのでは?ということになりますから。

 そうすると、人間というか、生き物はモノにも属して、心にも属しているという不思議な位置づけになってきますよね。心の世界が広がっているとします。そして、モノの世界も広がっているとします。

 そうすると、その両者のハザマというか、間に生命がある?

 なんとなく、人間がいる場所のイメージとしては、私の中では、モノの平面と、心の平面がべったりくっついているようなハザマのような場所をイメージします。

 心の世界を覗き込んでみると、トランスパーソナル的な世界になっていて。いわゆるヘーゲルのいうような絶対精神につなっていくようなイメージ。

 モノの世界は、それはそれであり、人間は肉体があるから、そのモノの世界を肉体を介して認識して、作り変えていくような感じ?

 スピリチュアルが効く対象はあくまで人間の心であって、物理現象としては生じない。人間を介してしか生じないと思います。

 たとえば、気功を操る人がいたとして、ハー、とやると、人が吹っ飛ばされたりします、テレビでたまにやってましたね。あれがやらせでないとしましょう。

 でもね、岩にハーっとやっても、何も起きないと思います。

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伊藤 達夫

THOUGHT&INSIGHT株式会社 代表取締役

THOUGHT&INSIGHT株式会社、代表取締役。認定エグゼクティブコーチ。東京大学文学部卒。コンサルティング会社、専門商社、大学教員などを経て現職。

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