/産業革命は、たんなる生産経済の効率化でなく、社会構造を根底から変えた。/
3 交通革命①:土木
戦争の中で、各国とも鉄の量産が本格化していきます。鉄の量産は、まず、土木を変えました。とくに意味を持ったのは、まさに未開の広大な大地を有していたアメリカででした。
マサチューセッツの鍛治屋ジョン=エームズは、一七七四年、棒鉄からシャベルを量産し始めました。その息子のオリバー=エームズは、一八〇三年、事業を拡大し、シャベルのほとんどすべてのシェアを握りました。そして、そのシャベルこそが、アメリカの運河を開削し、鉄道を建設したのです。さらに、その孫のオークス=エームズは、アメリカ横断鉄道の西半分であるユニオンパシフィック鉄道の建設業者のひとりとなり、その鉄道のために公有地から木材や石材などの建設資材を自由に調達する権利を得、一八六二年には、下院議員に当選することになります。
また、コネチカットでイギリス製の鋼鉄輸入店を開いていたコリンズ兄弟は、一八二六年、自分たちで鋼鉄の鍛造を始め、機械化によって月四万丁もの斧の量産を確立しました。そして、その斧がその後一世紀以上に渡って、アメリカの原野を、そして、熱帯のジャングルを切り開いていったのです。鉄、そこには、良くも悪くもアメリカの夢がありました。
そして、鉄は橋となりました。一七八一年、中ぐり旋盤を発明したウィルソンの設計、コークスを製鉄に利用したダービーの孫のダービー三世の製作によって、イギリスのブリストル海峡にそそぐセヴァン川に鉄橋を架けました。たかだか三〇メートルのものですが、それが世界最初の鉄橋で、町の名も「アイアンブリッジ」と変わったのです。また、一八〇〇年には、アメリカのペンシルヴァニアに世界最初の鉄鎖の橋が、さらに、一八二五年には、フランスのリヨン近郊に世界最初の鋼鉄ケーブルのつり橋ができました。一八二〇年にはトラス橋が考案され、三一年には現在のロンドン橋が完成しました。また、もう少し後のことですが、一八四九年、ハンガリーの二つの都市の間に鎖橋が架けられました。すなわち、ドナウをはさんだブダとペストの町です。今日、ドナウの宝石と呼ばれるブタペストも、その橋によってこそ作られたのです。
4 交通革命②:水運
鉄によって作られる蒸気機関は、その実用化のはるか以前から、馬に代わる新たな交通動力として着目され始めていました。ワットが機関を改良していた一七六五年には、早くもフランスのキューニョーが蒸気機関を動力とする自動車を発明しています。それは、人間の歩く程度の速さで大砲を牽引できましたが、一度に三〇メートルしか進めないしろものでした。一方、蒸気船は、アメリカで、一七八七年、フィッチとラムゼーがそれぞれ独立に発明しました。しかし、フイッチの船はオール式、ラムゼーの船はポンプ式で、実用にたるものではありません。その後、主流となっていく外輪式の蒸気船は、翌年スコットランドのサイミントンが発明したものです。また、この年、スティーブンズが蒸気船のための多気筒機関を発明し、一八〇四年には、スクリュー式の蒸気船も進水させています。
歴史
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2025.07.16
2025.10.14
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
