第八章 十九世紀産業革命と社会の変貌

2025.10.14

ライフ・ソーシャル

第八章 十九世紀産業革命と社会の変貌

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/産業革命は、たんなる生産経済の効率化でなく、社会構造を根底から変えた。/

1 蒸気機関の実用化

 一八世紀に入ると、発明家たちによってさまざまな機械が創造されましたが、しかし、その多くは当初は水力を動力源とし、河川流域にしか作ることができませんでした。また、そもそも、機械を作る鉄工業も、木炭を燃料としており、溶鉱炉一基を稼働するために、一年でおよそ一キロ四方もの山林を伐採しなければならなかったのです。このように、最初の「工業」がいかにまだ農業的なものであったか、よく考えなければなりません。というのも、工業が本当に工業的になるには、まだまだ多くの条件の成立を必要としているからです。

 産業革命の原動力となってくる蒸気機関はどうかと言うと、それはすでに一六九八年には早くも発明されてはいるものの、当初はあまりに効率が悪く、使いものになりませんでした。一七〇五年、ニューコメンによって改良されて効率は良くなっても、それほどの使い道はありませんでした。

 しかし、展開の端緒は思わぬところから開けるものです。そのニューコメンの蒸気機関のボイラーを作っていた鉄工業者ダービーは、木炭ではなく、石炭を乾燥させてガスやタールを飛ばしたコークスの強い火力を溶鉱炉に使うことを考えたのです。とはいえ、それが常用されるまでには、その息子とともにさらに半世紀もの改良を重ねなければなりませんでした。しかし、このことは、それまでたかだか家庭用燃料でしかなかった石炭を工業燃料へと引き上げ、一気に需要を増やしました。そして、その石炭からできるコークスを使って作られた蒸気機関は、炭坑の地下水の揚水ポンプに利用されて、さらに石炭を増産できるようにしていったのです。

 さらに一七六五年、ワットが蒸気凝縮器を独立させることで、蒸気機関の効率を飛躍的に高め、四年後には、その製造工場を設立しました。しかし、それも当初はいまだ手工業に近いものでした。というのも、いまだ充分な工作機械がなかったからです。一七七四年に、ジョン=ウィルキンソンによってようやく大砲やシリンダーを製作するための中ぐり旋盤が考案され、また、一七八二年に、ワットがさらに蒸気機関を複動回転式へと改良して後はじめて、蒸気機関が量産され、製粉や紡績などのさまざまな工業の原動力として応用されていくようになるのです。

2 近代量産主義の端緒

 近代の開始を決定づけた綿繰機は、ホイットニー自身をとりたてて裕福にすることはありませんでした。むしろ、その六年後の一七九八年に、彼がジグ、すなわち、工作機械を正しく誘導するための補助機構を発明したことこそ、彼の人生の成功をもたらし、近代産業の量産主義を重ねて決定的なものとしました。というのは、このジグこそが、同一部品の量産を可能にしたからです。量産部品の互換代替性、これこそ、その後の世界を決定づける近代産業社会の哲学でした。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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