いまさら『かもめのジョナサン』を読み直す

2022.10.16

ライフ・ソーシャル

いまさら『かもめのジョナサン』を読み直す

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/アンソニー・シーガルは、無意味に生きることに絶望する。だが、死ぬ前に、いちど時速200マイルで飛ぶというのを、自分自身で見てみることにした。そして、彼は2000フィートの上空から、海へ真っ逆さまに急降下する。ところが、そのとき、なにかが、もっと速く、彼の横を追い抜いていったのだ!/

それは、いまからちょうど半世紀前の1972年秋、突如としてベストセラーに躍り出た。本そのものは、それより二年も前、さんざんあちこちの出版社で断られた挙げ句、1970年にわずか3000部が刷られたのみで、当初、まったく話題にもなっていなかったのだが、その後の口コミで増刷が続き、73年の映画化とあいまって、74年末までに米国だけで1500万部、全世界で、4000万部を売り上げる。

1970年代初頭、人類が月に到達する一方、ベトナム戦争はアジア各国まで巻き込んでいよいよ泥沼化し、米国内も、共和党が民主党を盗聴しようとした72年のウォーターゲート事件でニクソン大統領が引きずり下ろされるなど、混迷を極めていた。しかし、LSDでサイケに陶酔して反体制反戦を唱うヒッピーカルチャーも、すでに70年にビートルズが仲間割れで解散したように、大量の逮捕者を出した71年のメーデー集会ピークに、すでに時代遅れとなりつつあり、むしろ虚無的な気分が漂い始めていた。

そんな時代に、この本は、人々に受け入れられた。しかし、書いたリチャード・バック(1934~)は、当時すでに38歳。終わりゆく時代の中で、この本に心酔した世界の若者たちとは、そもそも世代が違う。当時の読者たちは、なにか読み間違っていたのではないか。実際、ブーム当時の書評などを見るに、ニューエイジのカルト救世主物語、などと、強引にヒッピーカルチャーの文脈に埋め込んで、わかったかのように騙っている。

たしかに、全体に新約聖書のオマージュめいた部分は、あちこちにある。だからと言って、それを根拠に、救世主物語がメインプロットだ、と決めつけるのは、評論の僭越だろう。むしろ、『ジョナサン』の反復のような、バックの次の作品『イリュージョン』(1977)などを読むと、著者のバックが、救世主などというものにかなりシニカルな見解を取っていることがわかる。

そして、ブームが去ってから40年もたって、バックは2014年、電子書籍で第四部を追加公表する。バックによれば、この第四部は以前からあったが、当時、公表しなかった、とのこと。この部分のラッセル・マンソンの写真も揃っていることを見ると、たしかにあながちまったくのウソとも言い切れない。

しかし、前後の事情からすると、この部分は、もともとは、かってに救世主物語と誤解して熱狂した読者たちに嫌気して、バックが72年以降に書いたエピローグだったように思える。ただ、それを改版で追加することをマクミラン社の辣腕編集者エレノア・フリードに拒絶され、それで次の『イリュージョン』の執筆となったのではないか。実際、あんなシニカルなエピローグが追加されていたら、本が売れなくなるどころか、なまじ熱狂した読者たちから徹底的な反発を買っていただろう。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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