大退職時代と祭りの終わり

2022.08.19

ライフ・ソーシャル

大退職時代と祭りの終わり

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/大航海時代の昔から、企業は、本来、未来の展望を打ち上げ、それに賭けようという資金と人材を集めて海原に挑戦するものだった。ところが、ゴーイング・コンサーンなどと言って、もともと社会にある需要に対して製品を供給する永続的な管理流通を任ずるようになってしまい、その挑戦の気概を失った。/

そして、団塊世代が定年破りの経営陣として膨れ上がったままである一方、最後の大量雇用のバブル世代が、いま、定年前後。このバブル世代を減らせば、企業としては手軽に規模を「適正化」できる。一方、バブル世代にしても、死ぬまで辞めない団塊世代が経営陣に居座ったままである以上、社内に未来を期待できない。氷河期の中堅でさえも、惰性の延長、規模の縮小以上の変革など、人生の余録に甘んじる団塊世代の経営陣に期待できない。それなら、まだ自分に余力があるうちに、自分の起業、せめて自分の資産だけでも未来ある有望企業に「転職」させよう、となる。

まるで、夏祭りの終わりのようだ。長老の幹事連中は、これから楽しく慰労会。一方、その他は、終わった祭りの広場にいたところで、これ以上、なにがあるでなし、酔っ払った幹事連中に、後始末で、いいように扱き使われるくらいなら、とっとと帰って友人たちと小さな線香花火でも楽しもう、というところ。

大航海時代の昔から、企業は、本来、未来の展望を打ち上げ、それに賭けようという資金と人材を集めて海原に挑戦するものだった。ところが、ゴーイング・コンサーンなどと言って、もともと社会にある需要に対して製品を供給する永続的な管理流通を任ずるようになってしまい、その挑戦の気概を失った。それでも、人口増大、国威拡大のうちは良かった。いまや、人口そのものが減少に転じ、日米が国際的なプレゼンスとヘゲモニーを喪失しつつある。かろうじて中国をはじめとする新興国の未整備に乗して、上前を掠め取って延命しているのみ。これでは、若者が自分の未来を企業に賭けようなどとは思わない。せいぜい、それにぶら下がろうという程度の連中しか集まらない。

祭りは終わりだ。未来の理念と人望を失って、この船は沈む。割れた壺は元に戻らない。枯れた森ももはや砂漠だ。仲間内のお友だちの悪巧みも、これまで。限りある一度切りの人生、ここで律儀に殿軍を務めても、そこには先輩たちが食い散らかしたツケしか残っておらず、どうやっても帳尻が合わない。せめて自分と家族、隣人が浮かんで生き残れるエッセンシャルななにかを探そう。それがなにかは、わからない。だが、早く見つけないと、沈む船に巻き込まれる。残された時間は、多くはない。


(純丘曜彰 すみおかてるあき 大阪芸術大学哲学教授/美術博士。専門は経営哲学、メディア文化論、歴史文明論。)


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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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