/安物のマンガのように、吹き出し付きでしゃべっている人を、次々と説明絵としてインサートしているだけで、そこでは映像も演技もアクションも無い。つまり、テレビ俳優は、芝居のできない棒立ちのデクノボーでも、なんの問題もない。逆に、大きなアクションをする舞台俳優、せっかくテレビドラマ用に短く刻んだセリフを、アドリブだの、間合いだのを入れて伸ばすようでは使いにくい。だが、それでいいのか?/
映画俳優を、使えない、と舞台俳優が言うのは当然だ。同じ俳優でも、演技の形態が大きく違うから。しかし、テレビの場合は、どうか。
この違いを生じさせているのが、カット割り。舞台にカット割りなんて無い。だから、共演者はたがいに呼吸を合わせ、相手のセリフやアクションが「二人で一つの演技」になるように、間合いを空けたり詰めたり、緩急を取り混ぜて、うまく観客を芝居に引き込んでいく。ところが、映画俳優、とくにモデル上がり、アイドル上がりは、ディレクターが欲しい絵を見せることが、演技の中心になる。だから、アップやロングのカメラのセッティングの都合もあって、セリフやアクションは、個別の俳優でバラして撮ることもめずらしくない。おまけに、ディレクターの納得がいくまで、リテイクも当たり前。こうしてできた個々のカットは、前後に大きなマージンが付いており、編集段階で俳優ではなくディレクターがセリフやアクションの間合いを調節する。
演技のアクションも大きく違う。映画はアップが使える。だから、小さな表情、たとえば目のウィンク一つでも重要な魅力的演技になる。そして、そのアップのウィンクが誰に向けられたものだったのか、は、バラ撮りでも、ウィンクされた側のリアクション・ショットと繋ぐことで、クレショフ・モンタージュとして意味が与えられる。ところが、舞台では、いくら目を大きく画いていても、そんな細かな演技は、観客には伝わらない。だから、目のウィンクだろうと、全身を使って誰から誰にウィンクしているかをアピールしなければならず、また、ウィンクされた方も、間髪を入れず、ウィンクされた、という驚きを全身で表現する必要がある。映画俳優からすれば、こういう舞台俳優たちの芝居は、大げさで臭く、コンタクトしすぎでウザい、と思うだろう。(それで昔から、映画俳優は顔がでかく、舞台俳優は手足が長い方が当たる。)
このような映画のカット撮り+編集という特性のせいで、映画俳優、とくにモデル上がり、アイドル上がりは、リアルタイムでの、一発取りの演技、生放送のアドリブに応えることがひどく苦手なことが多い。番宣のためにバラエティやクイズ番組に出てきても、まともに自分の言葉で受け答えもできない。だから、この限界を正しく理解している映画俳優は、中堅どころですら、わざわざ生ぐさい舞台の劇団にあえて新人扱いで入って、映画で当てても舞台の仕事も続け、演技を根本から鍛え直し続けてもらったりしている。逆に、舞台で鍛えた俳優は、映画向けにあえて全身アクションを抑えた、顔アップ中心の演技に切り換えることで、うまく当てる人も少なくない。
解説
2025.09.11
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
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