デール・カーネギー『道は開ける』をいま読む

2021.10.20

ライフ・ソーシャル

デール・カーネギー『道は開ける』をいま読む

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/戦中世代がPTSDによって戦前戦後の恐怖に精神的に強迫され続けたのとは方向が逆ではあるが、いまの我々もまた、戦後コロナ前の繁栄の期待に心を支配され続けている。コロナさえ収束すれば、あの賑わいと活気に溢れた「現代」の大衆社会が復活する、とかってに信じている。しかし、それももまた、一種の強迫観念であり、同じ worrying だ。/

 ここでとくに興味深いのは、変ええないことは受け入れ、生かすことを考えよう、という第十七章。カーネギーは、レモンだって、レモネードの素材になる、と言う。過去にしても、未来にしても、客観的にもはやどうしようもないことを、むりにどうにかしようと執着し続けていると、つまり、その強迫観念に乗っ取られてしまっていると、今日を生きることの方が留守になってしまう。

 同じころ、ニューヨーク市のユニオン神学校(コロンビア大学提携、非宗派)でラインホルド・ニーバー(1892~71)もまた、雑誌『キリスト教と危機』を発行し、カーネギーと同じように、多くの人々の戦後の精神的問題と向き合っていた。ここにおいて、彼は、ひとつの祈りを定型化する。これは、今日も世界中の精神治療のセッション(互助集会)、とくにアルコールや薬物などの依存症の人たちのキリスト教系自助グループなどでよく唱えられている。

 「神よ、変えることの出来ない事柄については、それをそのまま受け入れる平静さを、変えることの出来る事柄については、それを変える勇気を、そして、この二つの違いを見定める叡智を、私にお与えください。」

 カーネギーはむしろ心理学者アルフレッド・アドラー(1870~1937)の名前を挙げているが、同じことは、古く仏教でも説かれており、その後の自己啓発本の名著、スティーブン・R・コヴィ(1932~2012)『七つの習慣』(1989)でも基本原則となっている。過去の後悔でも、人に嫌われることでも、自分の手にあまることを自分で抱え込んだところで解決できるわけがなく、かといってまた、その問題から逃げたところで逃げるところなどなく、ただ平静に受け入れ、自分のできることに専念する勇気こそが求められる。


同調圧力との対決

 続く第五部『悩みを完全に克服する方法』、第六部『批判を気にしない方法』は、対になっていて、神と世間の二つの基準が論じられる。ただ、ニーバーの周辺でも論争ばかりだったように、カーネギーは、もめてばかりの既存の宗派や教説には見切りをつけたうえで、あらためて神を考える。彼は、身近な疑問から生活の苦しみまで、自分の手にあまることの引き受け手として神を立て、自分が最善を尽くす以上のことを神に委ね、祈る、祈って終わりにすることを提案する。

 一方、第六部では、世間の批判を問題にする。先述のように、米国は二十世紀になって識字率が劇的に向上し、1940年に約4000万部だった新聞の総発行部数が1950年には5000万部を超えて増え続け、1962年には6000万部に達する。雑誌も同様に爆発的に増大。これにともなって、紙面での批評や論争も劇的に増大。なかにはまともなものもあったろうが、大半は有名人に難癖をつけて自尊心を満たそうとするだけのマウンティングのための誹謗中傷。大衆化したいまのネットの状況と大差無い。

Ads by Google

この記事が気に入ったらいいね!しよう
INSIGHT NOW!の最新記事をお届けします

純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

フォロー フォローして純丘曜彰 教授博士の新着記事を受け取る

一歩先を行く最新ビジネス記事を受け取る

ログイン

この機能をご利用いただくにはログインが必要です。

ご登録いただいたメールアドレス、パスワードを入力してログインしてください。

パスワードをお忘れの方

フェイスブックのアカウントでもログインできます。

INSIGHT NOW!のご利用規約プライバシーポリシーーが適用されます。
INSIGHT NOW!が無断でタイムラインに投稿することはありません。