ルネサンスとバブル国家

2018.07.17

開発秘話

ルネサンスとバブル国家

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/15世紀のヨーロッパは、ルネサンス文化の花が開いた、というような温和な時代ではない。それはむしろ、官僚制や常備軍で長期経営を見据えた近代の絶対政国家と違って、欲得で縁戚を拡大し、交易の収益を傭兵に注ぎ込んで周辺侵略を重ねる独裁者たちの国々が、芸術などにも放埒に資産を費やし、財政的にも自滅破綻していった一種のバブルだ。/

77年、無謀公シャルルは、ブルゴーニュとフランドル(下ロレーヌ)の間のロレーヌ公国の侵略に失敗して戦死。フルゴーニュ公国はフランス王国に吸収。フランドルは、娘婿のハプスブルク家に転がり込む。また、1479年、スペイン女王の夫がアラゴン王に即位し、スペインは、地中海北岸を支配する強大な王国となる。ノルマン系プランタジネット朝(本アンジュー伯家)のイングランドでは、百年戦争の後、王家内紛の薔薇戦争が起こったが、1485年、ウェールズ系のテューダー朝によって統一され、諸貴族ではなく地方郷紳を基盤として、新たな絶対王政を築いていった。

スペインは、92年、グラナダのイスラム勢力、アルハンブラ宮城を陥落させ、イベリア半島から地中海北岸の一大勢力となる。同年、フィレンツェでは、メディチ家御大ロレンツォが死去。94年、フランスがイタリア侵攻。ミラノ公国もこれに巻き込まれ、急激に衰退する。この時代、ブラマンテ(c1444~1514)やダヴィンチ(1452~1519)が、フィレンツェやミラノ、ローマを飛び回り、新技術を駆使した工学や建築、美術で大活躍したとされるが、実体は、中世と近代の間に咲いた徒花のパトロン諸国の終焉に、逃げ惑ってあがいていた、と言うべきだろう。

同じ頃、92年にスペインのコロンブスが新大陸発見、98年にポルトガルのダガマがインド到達。ヨーロッパは地中海から世界へと開かれる。一方、落ち目の教会は、異端審問や魔女狩りでヒエラルキアの引き締めを図るが、いくら残虐さを増しても、もう時代を止めることはできなかった。それどころか、教皇自身が世俗化した。スペイン系ボルジア家アレクサンデル6世(1431~教皇92~1503)は、買収によって教皇となり、実子チェーザレ(1475~1507)を枢機卿に引き上げ、傭兵を使ってフィレンツェなどを侵略し、教皇領を拡大していく。

いずれにせよ、15世紀のヨーロッパは、ルネサンス文化の花が開いた、というような温和な時代ではない。それはむしろ、官僚制や常備軍で長期経営を見据えた近代の絶対政国家と違って、欲得で縁戚を拡大し、交易の収益を傭兵に注ぎ込んで周辺侵略を重ねる独裁者たちの国々が、芸術などにも放埒に資産を費やし、財政的にも自滅破綻していった一種のバブルだ。アンジュー伯帝国、ブルゴーニュ公=フランドル伯国、ミラノ公国、ヴェネツィア共和国、フィレンツェ共和国、アラゴン=ナポリ連合王国のいずれも、百年を待たず、消え去ったことからも明らかだろう。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学vol.1 などがある。)

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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