ルネサンスとバブル国家

2018.07.17

開発秘話

ルネサンスとバブル国家

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/15世紀のヨーロッパは、ルネサンス文化の花が開いた、というような温和な時代ではない。それはむしろ、官僚制や常備軍で長期経営を見据えた近代の絶対政国家と違って、欲得で縁戚を拡大し、交易の収益を傭兵に注ぎ込んで周辺侵略を重ねる独裁者たちの国々が、芸術などにも放埒に資産を費やし、財政的にも自滅破綻していった一種のバブルだ。/

人々は、教会に対する絶望感を募らせ、歌や絵に「死の舞踏」を採り上げた。それは、死神ないし骸骨が老若男女、貴賤を問わず、歌い踊りながら人々を墓場に連れ去るイメージであり、多くの場合、旅芸人の姿で描かれた。実際、人々の集まる町々の広場を旅する彼らは疫病を媒介し、彼らが着て去った後に、町が全滅するということもあった。一方、狭い地域に隔離されながら清潔を徹底するユダヤ人や、疫病を運ぶネズミを蹴散らすネコとともに町から離れて暮らす「魔女」などは、疫病の難を免れていた。しかし、そのせいで、彼らこそ疫病の原因と疑われ、虐殺されることも少なくなかった。


14世紀半ばから

内紛で1301年にフィレンツェを追われたダンテ(1265~1321)をルネサンスの嚆矢として挙げることがある。たしかに、古典文学に親しみ、教皇批判を行った、という点においてはルネサンス的ではあるが、『神曲』に語られるような、天使となった永遠の女性に導かれて訪れる地獄・煉獄・天国などという彼のキリスト教的世界観は、いまだ中世人の域を出るものではない。

一方、ダンテとともにフィレンツェを追われた一家の出のペトラルカ(1304~74)は、アヴィニョン教皇庁の書記として働いていたが、古代ローマの古文書や碑文に魅せられ、往時の栄光を叙事詩に詠い、41年にはローマ元老院から「桂冠詩人」に叙せられた。同時に彼は、勤めてすぐに出会った女性のことをずっと思い続け、多くの恋愛抒情詩を書いた。彼女はペストの大流行で48年に亡くなってしまうが、その後も、彼は詩に自分の思いを謳い続けた。ペトラルカは、ダンテの影響を強く受けているが、彼は、彼女を、ダンテのように神格化することなく、生きて死ぬ生身の女性として描いた。こうして、ペトラルカは、キリスト教抜きの古典と民衆というルネサンスの二つの方向性の原点を築いた。

ペトラルカと親交が深かったフィレンツェのボッカチオ(1313~75)もまたダンテの信奉者で、作家として騎士道物語やギリシア神話、そしてペスト大流行の後には、世俗の笑談百話を取り上げた『デカメロン(十日物語)』を書いて人気を得た。ただし、これらのほとんどは、既存の物語の再話であり、イタリアやフランスからだけでなく、古典やイスラムなどからも素材を収集している。いずれにせよ、そこにもはや宗教色は無く、教会没落と疫病蔓延の時代にあって、現実逃避として本気で刹那的な娯楽へ没頭する姿勢が見られる。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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