薔薇十字友愛団と三十年戦争を巡る会話

2017.10.23

開発秘話

薔薇十字友愛団と三十年戦争を巡る会話

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/応仁の乱と同じく、ヨーロッパの三十年戦争も、ややこしい。しかし、そのわかりにくさの元凶は、近代の領邦国家の感覚で理解しようとしているから。むしろ近代の領邦国家ができる課程でこそ、この戦争は起きた。同様に、われわれの未来も、現代の構図で理解しようとしたのでは、理解できないだろう。/

「つまり、近代の面の領邦国家ができようとしているのに、その中に中世的な商人貴族たちが既得権を持って抵抗している自治都市が中に残ってしまっていた、というわけだな」「それを叩き潰すために、新時代の領主たちは、あえてそういう都市で大規模な再開発を行い、周辺でも鉱山開発、道路延伸、新都建設などをやって、面としての経済振興を図ったんだ」「織田信長や豊臣秀吉が東洋のヴェネチアと言われた商人自治の堺市を潰して、新都大阪を創り、そっちに主要街道を引いたのと似てますね」「あれは一五六八年だから、時代的にもまったく同じだな」

「手本となったのが、金融と建設でフィレンツェ市の支配を確立したメディチ家。そして、これを模倣したミラノ市のスフォルツァ公家や、ローマ市のファルネーゼ教皇家」「ようするに、ブラマンテやダヴィンチ、ミケランジェロということか」「彼らは、紀元前一世紀の建築家ウィトルウィクスの著作をもとに、東ローマ帝国に伝わっていた古代ローマの建築様式、つまり、円柱、アーチ、半球ドームからなる幾何学的な集中様式を復興した」「いわゆるルネサンス建築ですね。パッラーディオが一五五四年の『ローマ建築』や七〇年の『建築四書』で本にして、広まったんでしょ」

「でも、実際に工事をしたのは、だれなんだ?」「だいいちには、東ローマ帝国から移り住んだ、多くの職工たち。ヴェネツィアなんて、第四回十字軍で宗主国の東ローマ帝国を乗っ取ったからこそ、そこから技術者たちを招いて、あんな特異な水上都市を建設することができたんだ。それから、ボルジア家のバレンシア、スフォルツァ家のナポリ。トスカーナのファルネーゼ家だって、領地は南イタリアの先端、モンタルトだからね」「つまり、領主は、その本来の領地の職工たちを引き連れて、抵抗する都市貴族たちの街に乗り込んできたんですね」「それだけじゃないだろ。バレンシアやナポリ、モンタルトなんて、みんな旧聖堂騎士団の拠点じゃないか」

「かつての聖堂騎士団と直接に繋がっているかどうかはともかく、そういうところにはフェニキアのヘラクレス術、巨大土木建設工事の技術の伝承は残っていただろうね」「新時代の領邦国家領主が、移動技術者集団、つまり、フリーメイソンを創ったということか」「それだけじゃないよ。これまで親族と忠誠で複雑に離合集散を繰り返していた軍隊に、彼らは傭兵を活用した。とくに厳しい山岳地帯の生活で鍛え上げられた屈強なスイス人傭兵は、圧倒的に強かった」「これも、移動戦闘者集団ですね」「これらを駆使することで、大都市を牙城とする古い特権的商人貴族たちの支配を、切り崩していったんだんだな」

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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