近代化と人権の抑圧(後半)

画像: ハリエット・ストウ(小説家)

2025.11.14

ライフ・ソーシャル

近代化と人権の抑圧(後半)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/歴史的な差別を近代が解放した、というのは、捏造された近代の神話だ。むしろ近代化こそが、人間の標準理想像をあまりに狭く画一的に定義したために、同調圧力によって、そのミドルクラスモラリティから漏れる人々を社会から排除し、かえって人権抑圧を引き起こした。この独裁者無き全体主義と戦うために、多くの人道思想家たちが自分自身の人生を賭けて奔走した。/

26.14. 第一次世界大戦後:1920年代

 1914年に南アフリカでインド人救済法を実現させた後、弁護士のガンジーはインドに戻りました、英国は戦争協力と引き換えにインド独立を約束しました。しかし、15万人のインド人が戦争で命を落としたにもかかわらず、英国は約束を守らず、恣意的逮捕権などによってインド支配を強化しました。ガンジーは、インドは死んだ、と宣言し、1919年に全国的なハルタル(喪に服すストライキ)を呼びかけました。イギリスはこれを武力で鎮圧しようとしましたが、ガンジーは非暴力抵抗運動、英国製品のボイコット、国産品の奨励などを提唱しました。

「たしかにナショナリズムは力だが、統一は差異の抑圧でもある。いずれイスラム教徒はヒンドゥー教徒から分離するだろう」

 エレノア・ルーズベルト(1884-1962)は、ニューヨークの裕福で聡明な長身の女性でしたが、幼い頃に両親を亡くし、若い頃から地域社会でのボランティア活動に熱心に取り組んでいました。1905年に親戚の政治家フランクリン・ルーズベルト(1882-1945)と結婚しましたものの、夫の母親は高圧的で、夫自体、複数の女性と不倫し、エレノアの秘書にまで手を出しました。エレノアは離婚を考えましたが、夫の母親は、離婚すれば相続権を剥奪する、と脅しました。第一次世界大戦で男性が戦場に赴いたことで女性の社会進出が進み、1920年にはアメリカで女性参政権が認められましたが、女性が政治家になる環境はまだ整っていませんでした。そこで彼女は、夫を通して政治的理想を実現しようと決意しました。彼女は夫を副大統領候補に押し上げるために尽力しましたが、夫は選挙に敗れ、おまけに夫は1921年、ポリオで車椅子生活を余儀なくされました。

「女性が社会に出るにはまだ数多くの障害があった」

 ロシアでは、少数派であったにもかかわらず、レーニンが武力闘争によって革命政府を掌握し、コミンテルン(共産主義インターナショナル)を通して世界に革命を輸出しようとしました。しかし、ドイツのユダヤ系マルクス主義者ローザ・ルクセンブルク(1871-1919)は、レーニンの共産党独裁という考え方を批判しました。彼女はプロレタリア一般のための政府樹立を目指し、1919年にスパルタクス団を率いて蜂起しましたが、義勇軍によってリンチされ殺害されました。レーニンは、1922年にロシアで革命政府を打倒し共産党独裁政権を樹立しましたが、ドイツの反発と失敗で、彼の掲げる世界共産革命の構想は危ぶまれ、さらに悪いことに、彼は脳卒中に倒れました。党内での激しい権力闘争の後、シベリア流刑から戻ったスターリン(1878-1952)が1924年に単独独裁者となりました。

「マルクスが語っていたのは、ローザ・ルクセンブルクが言うプロレタリア階級独裁で、レーニンが主張した共産党独裁、ましてやスターリンが実現した書記長独裁なんかじゃないでしょ。これらはもはやマルクス主義じゃない」

 オーストリアとの戦争に志願兵として従軍したムッソリーニは、戦後、ファシスト党を結成しました。レーニンが提唱したようなコーポラティズムを採用し、ブルジョワジーに代わって党が資本を独占・管理することを目指しましたが、国際共産主義を憎悪し、かわりに超国家主義を主張し、地中海全域に広がる古代ローマ帝国の旧範図を、イタリアに必要な生存圏として奪還しようとしました。彼は国力増強のために、女性に黒人やアジア人よりも多くの子供を産むよう促しました。1922年、彼の黒シャツ隊は各地でクーデタを起こし、彼は首相に就任しました。プロパガンダと残忍な警察力によって国民を強権的に統一する一方、公共事業や侵略拡大によって国民を懐柔しました。

「資本主義競争で最後に勝つのは、政府だな」

 庶民の出のヒトラー(1889-1945)は、みずから前線で戦い、ドイツ軍はけして負けていなかった、と思い、ドイツの敗戦を受け入れられず、ユダヤ人の裏切りという「背中刺し」の神話を信じました。くわえて、大ドイツは崩壊し、ヴェルサイユ条約によって莫大な戦争賠償金を課せら、無国籍の富裕ユダヤ人、貧しい東欧ユダヤ人、そしてローザ・ルクセンブルクのような革命ユダヤ人に対する反感がふたたび人々に不合理な反ユダヤ主義を燃え上がらせました。イタリアのムッソリーニを模倣し、ヒトラーもまたユダヤ人と国際共産主義に対する民族主義運動を起こし、自分でデザインしたハーケンクロイツの旗を掲げてクーデターを起こしましたが失敗し、1923年に逮捕されました。

「戦争は戦闘だけで勝負が決まるわけじゃないのを、彼は理解できなかった」

 ニーチェの影響を受けた元高校教師のシュペングラー(1880-1936)は、すでに1918年と1922年に『西洋の没落』を出版していました。彼は、すべての文明は衰退し、ファウスト的な西洋文明も例外なく、その文化を残して滅びる、と考えました。彼によれば、現代民主主義は、じつはカネの勝利であり、選挙運動に多額の資金を投じた者が勝利を収めることができるからです。しかし、彼は、いずれ権威主義的な人物、新たなシーザーが現れて民主主義を破壊するだろう、と予言していました。一方、オルテガ・イ・ガセット(1883-1955)は、1929年の『大衆の反逆』の中で、現代を凡庸の勝利として描写しました。人々はミドルクラスの倫理観さえ、躊躇なく捨て去り、直接行動を好むようになってきましたが、彼らはあまりにも画一的であるため、みずからを省みることもできません。

「彼らは現代という時代を概観しましたが、どちらも悲観的でした。そして残念ながら、彼らの予言は、ムッソリーニやスターリンの出現によって的中してしまった」

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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