近代化と人権の抑圧(後半)

画像: ハリエット・ストウ(小説家)

2025.11.14

ライフ・ソーシャル

近代化と人権の抑圧(後半)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/歴史的な差別を近代が解放した、というのは、捏造された近代の神話だ。むしろ近代化こそが、人間の標準理想像をあまりに狭く画一的に定義したために、同調圧力によって、そのミドルクラスモラリティから漏れる人々を社会から排除し、かえって人権抑圧を引き起こした。この独裁者無き全体主義と戦うために、多くの人道思想家たちが自分自身の人生を賭けて奔走した。/

26.10. アメリカ南北戦争後:1864年~1873年

 アメリカ南北戦争は、しばらくの間、一進一退を繰り返しましたが、北部の工業力と鉄道網、そして南部の内部不統一が最終的に北部に有利に働きました。100万人の死者とリンカーン大統領暗殺を経て、戦争は1865年に終結しました。南部の黒人は解放され、黒人男性には選挙権さえ与えられましたが、彼らはあまり喜びませんでした。自立して生計を立てる手段が無く、かつてのプランテーションで低賃金労働者として働くしかなかったからです。さらに、南部諸州では新たにジム・クロウ法が制定され、北部出身者を含む黒人すべてが白人社会から完全に排除されましたた。また、黒人女性も白人女性も、相変わらず選挙権を否定され、政治の蚊帳の外に置かれたままでした。

「ジム・クロウは、黒人を嘲笑するショーの登場人物だった。結局、戦争は何一つ解決しなかった」

 いや、かえって事態は悪化しました。同性愛は個人の問題であり、南部には男娼さえいたのに、プロテスタント系の北軍は規律違反として同性愛者の兵士を処罰し始めました。北軍で功績を残したメアリー・ウォーカー医師は、男装を理由に何度も逮捕されました。黒人女性斥候のハリエット・タブマンも、軍人年金を受給できず、貧困に苦しみました。郵便検査官のアンソニー・コムストック(1844-1915)は、じつはニューヨークYMCAの熱狂的な道徳家であり、ポルノ、売春、宝くじ、避妊、さらには女性参政権論者まで、郵便だけでなく社会から根絶する法案を米国議会で可決しました。かつては個人主義的だった南部でさえ、秘密組織「クー・クラックス・クラン」が組織され、反抗的な黒人だけでなく北部人全般を攻撃しました。

「ここに、米国全体を浄化しようとする新たなサヴォナローラが現れた」

 ベルリン大学のカール・ウィルヒョウは、ドイツ進歩党の自由主義指導者として政界でも活躍し、ナショナリストのビスマルク首相(1815~1898年)に対抗しました。彼は人類学を研究し、ユダヤ人や同性愛者といった少数派への差別を否定し、軍国主義と植民地化に反対し、ヨーロッパ連邦の樹立を主張しました。しかし、ビスマルクは、1866年、オーストリア北部の飛び地問題をめぐって普墺戦争を引き起こし、大ドイツ成立の契機を作りました。さらに、彼は、フランス大使の無礼を口実に1870年に普仏戦争を煽り、勝利してドイツ帝国を樹立しました。彼は、刑法175条で同性愛を犯罪とし、国家からホモを根絶しようとしました。くわえて、大ドイツ構想は、南部やポーランドのカトリック教徒も含まれていたため、ウィルヒョウはビスマルクに協力し、文化闘争として教皇の影響力を排除しました。

「啓蒙的なウィルヒョウでさえ、ナショナリズムに呑み込まれていった」

 1871年のパリ・コミューン失敗後、下層階級による暴力的な革命という考えはすっかり廃れてしまったが、代わりに、消極的なストライキ、大規模欠勤という圧力で経営側は交渉を強いられ、労働条件は徐々に改善されていきました。さらに、マルクスが予言した資本家と労働者の二階級間の対立とは異なり、産業革命が進むにつれて、労働者は雇われ経営者から熟練機械工まで、さまざまなレベルに分化し、単純労働はアジアなどから来た市民権を持たない移民男性によって担われるようになりました。そのため、簿記やタイピングといった優れた技能があれば、女性でも歓迎されました。とくに医学、研究、芸術の分野では多くの女性が活躍し、医学教育者のエリザベス・ブラックウェル(1821-1910)、害虫学者のエレノア・オーメロッド(1828-1901)、女優のサラ・ベルナール(1844-1923)、物理学者のマリー・キュリー(1867-1934)などが活躍しました。

「繊細な経営と機械が、粗暴なマチズモを駆逐した」

 徴兵、動員、訓練による統一された軍隊、また、写真、鉄道、電話による大衆コミュニケーションの発達は、各国の地域色を消し去り、均質化させました。こうして競争社会が生まれ、社会の階段を駆け上がるためには、勤勉なミドルクラスのレスペクタヴィリティ(品格)、不屈に挑戦する開拓者のサクセスドリーム、そして、忠実で従順な妻と子供が必要とされるようになりました。これらは、周囲からの圧力によって、すべての人にとっての「伝統的な」人間標準像となり、一方、この標準から外れる者は人生の敗者とみなされました。

「それはけして伝統的ではなく、近代に捏造されたものだった」

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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