/業界全体が売り手サイドの大手企業群に飲み込まれ、メディア(媒介者)としての中立性を失い、読者や顧客が離れた。それで、よけい必死に、さらに押しつけがましいプッシュ・マーケティングを展開するが、それは逆効果なだけ。いったいだれがほんとうの客なのか、頭を冷やして考え直した方がいい。/
ほしいもの、となると、ネットや百均、ホームセンターだろう。オールドストアは、もはや売り手に乗っ取られて、顧客側のニーズを失った。
本屋で見てみよう。かつて本屋の店長は、目利きだった。本人自身が読書家で、多くの新聞雑誌に目を通し、時代の最先端を読み取って、町の人にも読んでもらいたいと思う本を自分で出版社に問い合わせ、直接に仕入れた。それどころか、地元で、これは、という著者がいれば、みずから版元出版社を引き受け、全国の本屋仲間に販売協力を呼びかけた。また、本屋を持たない「せどり屋」なんていうのもいて、他の町の売れ筋の本を町の店長に紹介して転売した。
じつのところ、現代の取次は、この「せどり屋」の化け物で、戦時中の物資統制、情報管理で国家支配となり、戦後も、これが地方への均質な文化普及を口実に残存して、再販禁止と委託販売を実質的に強制し続けた。このため、本屋の店長は、ただの店舗維持の下請業者に成り下がり、取次から段ボールで送られてくる本を棚に並べ、売れ残りをまた段ボールに詰めて送り返すだけの仕事になった。
たしかに、本屋は、町の情報拠点として、もっとも人が集まる一等地だ。が、そういう場所は、地代が高い。たかだか本一冊とはいえ、棚に平置きして、それが一月もその場所を専有する。これは、本を立てても同じこと。小さいながらも、看板と同じ。それも、目の高さ。選挙ポスターだって、こんな人通りの多い屋内通路で、好都合な宣伝場所は、そうそう無い。
だが、その面積の地代は、本屋側の負担だ。つまり、本屋は、愚かしくも、タダで出版社の宣伝をしてやっている。本来であれば、高い地代の相当分は、本が売れても売れなくても、出版社から現金定額で受け取るべきだろう。個々の本の面積は小さいながら、本屋の店舗面積のほとんどが本で埋め尽くされているのだから、その総計は、平棚だけでも、本屋の店舗の半分以上になる。まして、立てた雑誌を出版社の壁面広告と考えれば、立ち止まって滞留しているぶん、駅ナカ通路のポスターよりも高く見積もるのが当然。税務署も、これらを本屋から出版社の隠れた不正利益供与として、出版社側に課税するべきだろう。
いずれにしても、こんな出版社の自発的無給奴隷みたいなことをやっているから、町の本屋は潰れる。そして、同じことが、テレビなどでも起こっている。まともなテナント業者であれば、タレントを売り出したい事務所に対して、企業CMと同様に、相応の宣伝費用を請求すべきだ。にもかかわらず、客寄せに目が眩み、逆に「出演料」まで払っている。だが、実際は、その自称タレントととやらは、それだけ客を呼べる数字を持っていない。それは、じつはキャスティング権を握るプロデューサーやディレクターからタレント事務所への個人的な不正利益供与であり、そこがテレビ局腐敗の温床になっている。
デパートでも、いまのブランドは、粗製濫造されすぎて、もはや顧客訴求力を失っている。とくにBtoC通販が拡大した化粧品で、この失墜は著しい。にもかかわらず、そんなのに一階一等地を占有させても、来るのは金満老婆くらいのもの。若い連中は、エントランスすらくぐらない。そもそも行こうとすらしない。新聞なんかも似たようなもの。記者たちの同年代の互助会みたいに、毎度、変わり映えもしない、お友だち文化人や評論家のコメントが並ぶだけ。新しいなにかを自分でどこかに飛び込んで発掘しよう、ったって、新聞社には、もうそんな予算や業務の余裕も無く、企画なんか上げても、どのみち古くさいGGEやBBAの会議を通らない。それで、文字スペースを埋めるだけのサラリーマンだらけで、ただジリ貧。
ようするに、業界全体が売り手サイドの大手企業群に飲み込まれ、メディア(媒介者)としての中立性を失い、読者や顧客が離れた。それで、よけい必死に、さらに押しつけがましいプッシュ・マーケティングを展開するが、それは逆効果なだけ。いったいだれがほんとうの客なのか、頭を冷やして考え直した方がいい。
経営
2025.04.22
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
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