/歴史的な差別を近代が解放した、というのは、捏造された近代の神話だ。むしろ近代化こそが、人間の標準理想像をあまりに狭く画一的に定義したために、同調圧力によって、そのミドルクラスモラリティから漏れる人々を社会から排除し、かえって人権抑圧を引き起こした。この独裁者無き全体主義と戦うために、多くの人道思想家たちが自分自身の人生を賭けて奔走した。/
26.04. 女性と革命:18世紀後半
このように、庶民の妻や独身女性労働者だけでなく、貴族やブルジョワジーの女性たちも孤立させられていました。しかし、そのことが、むしろ彼女たちをより衝動的で積極的な行動へと駆り立てました。自由を求める女性たち、とくに政略結婚を嫌うブルジョワジーの娘たちは、相続財産と拳銃を持って新大陸へ単身渡航し、自らの事業を始めました。それほど大胆ではなかった女性たちは、邸宅に私的サロンを開き、当時の知識人たちを集めました。こうしたサロンが、ひそかに革命の機運を醸成していきました。
「18世紀の男たちのマチズモに抵抗する女性たちが出てきた」
インドや中国との貿易に失敗した英国は、新大陸植民地への課税を強化しました。新大陸の主婦や女性商人たちは、英国製品のボイコット運動を起こし、「自由の娘たち」として国産品奨励に努め、彼女たちの経済活動が、アメリカ独立を現実のものとしました。同じころ、田舎町の未亡人、オランプ・ド・グージュ(1748-93)はパリで、有力者たちが集まるサロンのクルチザン(高級娼婦)になりました。彼女は、彼らの支援を受けて、黒人奴隷制に抗議する小説や戯曲を執筆し、おそらく最初の女性の人権活動家となりました。しかし、フランス植民地から利益を得ていた王族やブルジョワジーのマチズモの男たちは、彼女を恐れ、憎み、妨害しました。
「男たちの妄想の中では、女性は美しく優しくあるべきだが、同時に弱く愚かであるべきだった。でも、多くの女性がそう振る舞っていたのは、男性支配社会で生きるためだけだったのかも」
1788年、グージュは一連の政治パンフレットを出版し、有力者たちに送りました。彼女は英国風の立憲君主制を提唱しました。彼女以外にも、不満を抱えた主婦たちは当局に直接請願したり、暴動を起こしたりしました。食糧危機は1789年の革命蜂起につながり、国民議会は夏に「人権宣言」を発表しましたが、なにも解決できませんでした。秋には、マリー・アントワネットが「パンがなければケーキを食べればいい」と言ったというウワサに激怒して、7000人のパリの女性たちが、自発的にヴェルサイユ宮殿に押し寄せ、王族をパリに連行しました。しかし、男たちは女性たちの力を恐れ、女性の政治参加を拒否し、女性集会さえ禁止しました。
「女性たちは、後にル・ボンが野生の群衆と呼んだような存在だった」
マルキ・ド・コンドルセ(1743-94)とその妻ソフィー(1764-1822)は、女性解放に理解がありました。グージェは、彼らとともに「真実の友」を組織し、1791年に『女性の権利宣言』を発表し、女性の言論の自由と契約結婚の権利を主張しました。しかし、ハイチで黒人解放蜂起が勃発すると、グージェは扇動者として告発されました。さらに、フランスは反革命戦争でオーストリアとプロイセンから攻撃を受け、革命フランスは立憲君主制を共和制に転換し、王位を廃止しただけでなく、王族の処刑にまで至りました。グージェは国王を弁護しようとしましたが、かえって反発を招いただけで、権力を握ったジャコバン派は、1793年にグージェを処刑し、1794年にはマルキ・ド・コンドルセを暗殺しました。
「男が女より理性的だなんて、けっして言えない」
銀行家ネッケルの娘アンヌ・スタール(1766-1817)は、サロンの知識人で、人道主義者として、マリー・アントワネットとその友人たちの命を救うおうと尽力しました。彼女は愛人のタレーラン司教(1754-1838)を総裁政府に送り込みました。彼女は、ナポレオンの専制政治を激しく批判し、主要人物たちを結集させ、立憲君主制を求めました。しかし、タレーランは他国と共謀し、1814年に王政復古を実現させました。彼女はアヘン中毒で亡くなりました。英国では、1815年に準男爵の娘アナベラ・ミルバンク(レディ・バイロン、1792-1860)が、成功したロマン派詩人ジョージ・バイロン男爵と結婚しましたが、じつは彼は多くの女性と乱れた関係を持ち、巨額の借金を抱えており、彼女の財産だけが目的でした。アナベラはわずか1年で彼のもとを去ったため、世間からは悪女として非難されました。
「世渡り上手の男なんか、信用するもんじゃない」
歴史
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
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