/歴史的な差別を近代が解放した、というのは、捏造された近代の神話だ。むしろ近代化こそが、人間の標準理想像をあまりに狭く画一的に定義したために、同調圧力によって、そのミドルクラスモラリティから漏れる人々を社会から排除し、かえって人権抑圧を引き起こした。この独裁者無き全体主義と戦うために、多くの人道思想家たちが自分自身の人生を賭けて奔走した。/
26.05. 教育と中産階級:19世紀初頭
英国では早くから議会制度が確立されていましたが、下院議員の選挙権は人口のわずか3%の伝統的地主階級に限られていた。フランスでは、民衆蜂起で革命が起こったものの、新政府は高額納税者にのみ選挙権を与えました。一方、アメリカでは大土地所有者が選挙権を持っていました。いずれの国においても、多くの人々が政治から排除されていました。
「古代ローマは兵役に対して市民権を与えたが、近代国家は歴史、納税額、土地面積など、多様な基準で市民権を付与した」
革命以前から、産業革命は農村部の自給自足的な生活様式を破壊し、多くの人々を都市へと追いやりました。労働力の過剰供給は、賃金を低く抑え、貧困を生み出しました。ナポレオン戦争では、多くの男たちが農村から徴兵され、女性労働者が増加しました。しかし、戦後、復員兵たちは故郷へは戻らず、都市に留まりました。その結果、ウィーン体制下では、各国の人口の10%が首都に集中しました。低賃金と機械化は、ブルジョワジーを富ませた一方で、都市の貧困を悪化させました。男たちは、自分たちの仕事を奪っているとして、女性や機械に怒りを募らせました。
「復員兵たちはみな、女を見下すマッチョな連中だったのだろう」
ナポレオン戦争で苦境に立たされたプロイセンは、フンボルト(1767-1835)の助言に従い、兵士の質を向上させるため、1807年には早くも義務教育を導入しました。オーウェン(1771-1858)は、教育こそが貧困を緩和し生産性を向上させる鍵だ、と長年、信じており、1816年にニューラナーク工場に労働者のための学校を設立しました。コント(1798-1857)もまた、産業を通して社会を改善することを提唱し、エコール・ポリテクニークがこれを主導するテクノクラートを育成すると期待しました。しかし、近世以来、ブルジョワジーの娘たちを良妻賢母に育て、良い結婚をさせるための教育が優先されていました。米国でも、裕福な家庭の孫娘、ドロシア・ディックス(1802-87)が、ボストンの貧しい子供たちに教育を施そうと試みました。
「人々の質が社会の質を決定する」
蒸気機関や製造機械の導入により、単純労働だけではもはや十分ではなくなり、ただ資金を投資するだけのブルジョワジーでは事業を運営できなくなりました。そのため、オーウェンのような経営者や、機械の維持・操作を行う熟練労働者を雇用する必要が生じました。彼らは労働者ではあったものの、高給を得ており、新たなミドルクラスを形成しました。彼らは知性だけでなく、高い自己規律と倫理を備えており、それは懐中時計によって象徴されました。ブルジョワジーと同様に、彼らの妻たちも仕事を持たずに家事を完璧にこなし、子供たちに高等教育を受けさせることに尽力しました。
「彼らとともに、近代の理想の人間像とジェンダーの役割分担が確立された」
石炭と鉄鋼は、ブルジョワの個人的な投資規模をはるかに超えるものでした。しかし、産業革命と軍事拡大は国家にとって喫緊の課題であったため、多くのミドルクラスの男たちが官僚になりました。彼らは、画一的な生活様式を守り、人々も自分たちと同じ「理想」的な生活様式とジェンダー役割を目指すべきだ、と信じていました。彼らはブルジョワジーとミドルクラスの男性に参政権を拡大しましたが、同時に男性労働者に、標準的な労働力となることを求めました。一方、女性たちには、結婚して専業主婦となり、良い子供を産み育て、良い労働者や兵士、あるいは再び主婦となるように教育することだけを期待し、女性に公職に就く機会をけして与えませんでした。
「彼ら自身が、まるで画一的な機械部品のようで、人々にも同じであることを要求した。これは、人々に理想的な生活様式を示すだけだった東洋の朱子学徒より悪質だ」
ユーゴー(1802-85)のジャン・バルジャン、バルザック(1799-1850)のゴリオ爺さん、デュマ(1802-70)のモンテ・クリスト伯のように、男たちは下層から抜け出し、ミドルクラスに加わることを夢見ました。しかし、ディケンズ(1812-70)が『オリバー・ツイスト』(1838-39)で描いたように、現実には下層の人々の生活は悪化する一方でした。一方で、ジョルジュ・サンド(1804-76)のように、ミドルクラスの倫理観に反抗し、自由な精神で生きる女性たちも現れました。興味深いことに、ミドルクラスの倫理観は、伝統的なユダヤ人の生活様式に合致していました。キリスト教徒による根強い差別が弱まるにつれ、ユダヤ人の男たちは、懸命に勉強し、銀行家だけでなく官僚、弁護士、医師、教授といった分野でも成功を収め、一方、ユダヤ人の女たちは、家庭を守り、多くの子供を産みました。やがて彼らは経済、政治、文化における支配階級を形成するようになりました。
「ナポレオン戦争以降、ユダヤ人の国際金融に頼らずに、戦争の莫大な費用を賄うことができた国は一つもなかった」
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
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