夢と眠り、現実に目覚める:『ノッティングヒルの恋人』(1999)

2021.05.03

ライフ・ソーシャル

夢と眠り、現実に目覚める:『ノッティングヒルの恋人』(1999)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/相手が去っても、愛は残る。平穏無事とは名ばかりの空虚な一生よりも、たとえいつか彼女が去ってしまうとしても、人生のすべてを賭けて、泣いたり、笑ったり、幸せな思い出がつまったリアルな人生を選ぶ。それがウィルの新たな決断。/

 それだけではない。アナとプライベートパークの柵を乗り越えるとき、ウィリアムは、落っこちかかって、「Whoop a daisy(あららまあ)」なんて女の子のようなこと言って、アナに笑われるが、デイジーは、ヘンリー・ジェイムズの中編小説『デイジー・ミラー』(1878)の主人公。そして、デイジーは愛称で、その本名は、まさにアナなのだ!(アニー、アナは、ハンナやジョアンナなどの省略形。)

 デイジーは、自由奔放な米国娘。会っていきなりフレッドをデートに誘い、彼は振り回されっぱなし。ところが、じつは、妙なイタリア人と婚約しているとかで、彼の目の前でキスまで。ほら、プロットまで『ノッティングヒル』と同じ。それどころか、アナとウィリアムの人物造形から、その細かな表情や演技まで、映画版の『デイジー・ミラー』(1974)のデイジーとフレッドを踏襲している。

 ロケ地、ケンウッド館で演じていた『ロンドンの攻囲』でのアナの役は、名望家の米国女性、ヘッドウェイ夫人。離婚を重ねて財産を築き、英国社交界にやってきて、いままた貴族のボンボン、デメーンとの結婚を画策している。しかし、デメーンの母親たちは、これを防ぐべく、彼女の過去をほじくり返そうとする。

 また、屋上でウィリアムがヘンリー・ジェイムズの名を出したとき、アナ自身もまた、ヘンリー・ジェイムズの小説『鳩の翼』(1902)のタイトルを挙げている。その女主人公ケイトは、ロンドンっ子だが、貧しく、自分の婚約者を不治の病に冒された富豪女性と結婚させてまで、その遺産を巻き上げようと奔走。

 ウィリアムは、芸能界には疎いとはいえ、かなりの読書家だから、ヘンリー・ジェイムズの『鳩の翼』や『ロンドンの攻囲』の名が出てくれば、ケイトやヘッドウェイ夫人の人物像を思い浮かべ、 アナもきっと、長年の彼氏とされる女たらしとの醜聞や、若いころのヌード撮影などだけでなく、これまで相応の後ろ暗い、つらいことも数多くあった、そうやって苦労してハリウッドを生き抜き、大役を掴んできたのだろう、くらいのことは想像したはず。

 ヘンリー・ジェイムズは『米国の風景』(1907)で、米国には形式が無い、それは、過去を放棄し、成長を渇望する表れだろうが、その誇示の内実は耐えがたい空虚だ、と難じた。そして、アナは、その米国的な空虚の象徴。リアルな、手で掴めるものが無い。

 シュリアル。平気で柵を乗り越える。会ったばかりでいきなりキスをする、ろくに知らない人の妹の誕生日パーティに加わる、なぜ好きになったかもわからない相手をとっかえひっかえ。不義理を重ねながら、平然とまたやってきて、挙げ句に、また好きになって、などお願いする。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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