『グレイテスト・ショーマン』は人権ポルノか?:アカデミー賞への反旗

画像: 映画からの引用

2018.12.14

ライフ・ソーシャル

『グレイテスト・ショーマン』は人権ポルノか?:アカデミー賞への反旗

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/新聞や雑誌はこの作品を酷評し、アカデミー賞からも完全に無視された。だが、映画館、そして、DVDと、この作品の人気はじわじわ昇り続けている。そのことがいま、ハリウッドを震撼させている。というのも、この作品はサーカスではなく映画を隠喩したものであり、この作品の本質が、アカデミー賞のスノッビズム(俗物主義)に対する強烈な反旗だからだ。/

新聞や雑誌はこの作品を酷評し、アカデミー賞からも完全に無視された。だが、映画館、そして、DVDと、この作品の人気はじわじわ昇り続けている。そのことがいま、ハリウッドを震撼させている。というのも、この作品はサーカスではなく映画を隠喩したものであり、この作品の本質が、アカデミー賞のスノッビズム(俗物主義)に対する強烈な反旗だからだ。

やたら感動したという人が多いが、話がわかっているのか。ネット評をざっと見るところでも、的外れなレヴューばかり。差別を元気で跳ね返した、というような、安っぽい「人権ポルノ」(感動という快感で観客を過剰に興奮させるために人工的に捏ち上げられた売り物)だから、世間の人気になり、プロに酷評された、のではない。

この作品、やたら演出が細かいが、いちいちセリフで説明しない。何回か見ている内に発見するような、それどころかストップモーションで見なければ絶対に見つからないような仕掛けが数多く張り巡らされている。(たとえば、バーナムがステージ上でいつも手にしっかりと握っているシルクハットは、貧窮の末に死んだ亡き父親の形見。)ふつうに映画館で見て、これらに気づく人は多くはあるまい。だが、人々は頭で理解しないまでも、心で、これがただ感動を誘う人権ポルノ以上のなにかを語っていることに感づくだろう。

ただ、この作品の難点は、ミュージカルであること。ミュージカルでは、それぞれが独立に自分の心情を主観的に歌う。だから、『レ・ミゼラブル』のように、複数の登場人物のポリフォニック(多声)な大河ドラマ型ストーリーに向いている。この作品も、主人公バーナムという人物の軌跡を見せる以上、ミュージカルにするなら、むしろはっきりと敵対しているスノッブの批評家、ベネット卿との絡みを主軸にすべきだった。ところが、歌うのは、バーナム側の人々だけ。それで、観客がバーナム本人の視点から離れて、周囲の誤解の方に振り回されてしまう。

もっとも顕著なのが、リントの最初の公演。フリークスの仲間たちも見に来たのに、バーナムは、彼らを自分のボックスではなく、暗い天井桟敷に追いやる。公演の後のパーティでも、彼らを入れない。ここでルッツ(髯女)の「This is Me(これが私)」となるのだが、これが強烈すぎて、観客の心情はバーナムを離れ、差別された、というルッツの方に同化してしまう。同様に、その後、バーナムが妻や子供たちを置いてリントと旅立つと、妻が「Tightrope(綱渡り)」で、夫バーナムの浮気を心配する気持ちを切々と歌い上げる。この二つの歌のせいで、観客は、結局、バーナムもまたフリークスを差別し、リントとの浮気に走った、という理解になってしまう。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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