バウムガルテン『美学』とは何か:イメージの論理学

2021.03.12

ライフ・ソーシャル

バウムガルテン『美学』とは何か:イメージの論理学

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/〈理性〉は、万人万物に共通であり、理神論として、マクロコスモスである世界をも統一支配している。しかし、その大半は深い闇の向こうにあって、人間の知性の及ぶところではない。だが、人が、徳として、どんなイメージをも取り込む偉大な精神、感識的地平をみずから持とうとするならば、その総体、イメージ世界は、神の壮大な摂理をも予感する、理性の似姿、〈疑似理性(analogon rationis)〉となる。/


書かれた『美学』:イメージの厳選

 もっとも、結核の病状悪化で、実際に書かれたのは、イメージの着想論の、それも理論編のみ。それでも、けっこうな大著であり、その構想は以下の七章仕立てになっている。

  •    第一章 イメージ美一般について
  •    第二章 ①感識術的な豊富(ubertas)
  •    第三章 ②感識術的な偉大(magnitudo)
  •    第四章 ③感識術的な真実(veritas) 以上、第一巻
  •    第五章 ④感識術的な光(明晰、claritas)
  •    第六章 ⑤感識術的な説得(直明、evidentia) 以上、第二巻
  •   (第七章 ⑥感識術的なイメージ生命(vita) 未執筆)

 第一章の第一節「イメージ(cognitio)美」では、美とは〈協感(concensus)〉である、とされる。この〈協感〉は、二つのレベルから成る。一つは、関係的なもので、Ⓐ素材(materia、res)とそのイメージ化(cognitation)における協感、Ⓑ順序(ordo)と配置(disposition)における協感、Ⓒ記号化(signification)における協感、の三つが挙げられている。これは、《演説術学》における着想論・配置論・表現論に対応するもの。ここで着目すべきは、その美は物事内部の協感ではなく、そのイメージ化との協感である、とされていること。それゆえ、バウムガルテンは、醜いものも美しくイメージされ、また、美しいものも醜くイメージされうる、と注意している。

 〈協感〉のもう一つのレベルは、質的なもので、Ⓐ素材とそのイメージ化における協感が成り立っている上で、①豊富、②偉大、③真実、④明晰、⑤直明、⑥生命、の協感も協調的に成り立っているときに、そのイメージは完全になり、美しくなる、とされる。もとよりバウムガルテンのめざすところは、イメージの《論理学》として、正しい、良い、つまり、美しいイメージとはどうあるべきか、であるから、この六つが、この『美学』という本の中心となる。

 これに続く第一章の残りの部分では、天賦の才ある〈感識者(アェステティクス、aesthetix(バウムガルテンの造語))〉のみが、訓練と勉学と衝動、そして推敲によって、美しいイメージを手に入れることができる、とされる。ここだけ見ても、完全な感識、すなわち、美しくイメージすること、に話を絞ったせいで、人間一般の感識全般の解明、という本来の課題から、すでに大きく逸れてしまっていることがわかる。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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