バウムガルテン『美学』とは何か:イメージの論理学

2021.03.12

ライフ・ソーシャル

バウムガルテン『美学』とは何か:イメージの論理学

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/〈理性〉は、万人万物に共通であり、理神論として、マクロコスモスである世界をも統一支配している。しかし、その大半は深い闇の向こうにあって、人間の知性の及ぶところではない。だが、人が、徳として、どんなイメージをも取り込む偉大な精神、感識的地平をみずから持とうとするならば、その総体、イメージ世界は、神の壮大な摂理をも予感する、理性の似姿、〈疑似理性(analogon rationis)〉となる。/


バウムガルテンの時代と課題

 バウムガルテン(1714~62)は、18世紀プロシア、オーデル川フランクフルト大学の教授。これは、大都会のマイン川フランクルト市とは同名別地で、現ポーランド国境にある伝統的な大学町。とはいえ、バウムガルテンの存命中、七年戦争(1756~63)で戦火に見舞われ、ナポレオン戦争で閉鎖され、その後は寂れる一方。いまは六万人もいない。まるでバウムガルテンの評価を象徴するかのようだ。

 ともあれ、彼は、当時は一流大学の筆頭学者だった。その彼が1750年に出版したのが、『美学』。フランスではルイ15世が、オーストリアではマリア・テレジアが絶対的な権勢を拡げ、オーデル川フランクフルト大学を持つプロイセンのフリードリッヒ二世が啓蒙専制君主として大国の間で腐心していた時代。文化では、貴族的で壮麗なバロック様式が終わり、アカデミーの芸術支配の下、小市民的で柔弱なロココ様式が人気となった。音楽でも、ヘンデルやバッハのような豪胆な大作曲家の時代から、ハイドンのような、やはりこじんまりとまとまった曲が流行。文芸においても、小さな皮肉を好む啓蒙主義者の小説が中心。

 学術的には、18世紀は、事典の時代、と言える。フリーメイソン的な博物趣味が昂じ、国家的・国民的啓蒙事業として、その集大成が図られた。小市民的に、ありきたりのものまで、ちまちま収集し、分類し、説明して、悦に入る。フランス語学士院が40年かかりで『フランス語辞典』1694を出したのに続いて、書店主サミュエル・ジョンソンが、わかりきったような日常的な言葉まで集めて説明する本格的な辞書『英語辞典』1755を独力で完成。百科全書派はもちろん、リンネが全植物の分類体系を整え、そして、バウムガルテンも、哲学的百科事典を作る野望を抱いていた。

 このころのプロシアの哲学状況と言えば、ベルリン科学アカデミー初代会長、ライプニッツ(1646~1716)の一派が主流だった。とはいえ、その中心のヴォルフ(1679~1754)が無神論者として一時的に追放されており、1740年、代わりにオーデル川フランクフルト大学に推挙されたのが、バウムガルテン。ヴォルフも、同年、ハレ大学に復帰、後にその学長になっている。半世紀後にカントが広大な実践領域を提示して哲学を根本からひっくり返すまで、彼らは、哲学体系は完成まであと一歩、と信じていた。

 19世紀末の新カント派によって、《英国経験主義》vs《大陸合理主義》、と言われてきたが、ニュートン(1642~1727)が英国にあって合理主義者であり、また、ヴォルフが英国の王立協会の会員であったように、ラテン語を共通学術語とする当時の哲学者たちの国際交流は繁く、近年、この両主義の断絶は否定されている。むしろ、この時代、英国も大陸も、《理神論》が共通に信奉されていた。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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