なぜ人は学ばなくなるのか 〜「主体性がない」のではなく、“動けない状態”になっている〜 「最近の若手は主体性がない」 「自ら学ぼうとしない」 「言われたことしかやらない」 人材育成の現場では、昔からよく聞く言葉である。 しかし私は、長年人材育成に関わる中で、次第に違和感を持つようになった。
第1章
なぜ人は学ばなくなるのか
〜「主体性がない」のではなく、“動けない状態”になっている〜
「最近の若手は主体性がない」
「自ら学ぼうとしない」
「言われたことしかやらない」
人材育成の現場では、昔からよく聞く言葉である。
しかし私は、長年人材育成に関わる中で、次第に違和感を持つようになった。
本当に、人は「学びたくない」のだろうか。
本当に、「主体性がない人」が存在するのだろうか。
むしろ多くの場合、人は、
「学ばない」のではなく、
“動けない状態”
になっているのではないか。
今はそう考えている。
私はこれまで、多くの社員と面談をしてきた。
その中には、
* 優秀なのに自信を失っている人
* 過去の失敗で挑戦できなくなった人
* 頑張っても評価されず疲弊した人
* 将来像が見えなくなった人
* 学ぶ意味を見失った人
が数多くいた。
彼らは決して怠けているわけではない。
むしろ真面目な人ほど、止まってしまうことがある。
なぜか。
それは、
* 失敗したくない
* 否定されたくない
* 恥をかきたくない
* 何を学べば良いかわからない
* 頑張っても意味があると思えない
といった感情や不安が、
行動を止めているからだ。
つまり問題は、
能力不足より先に、
「心理状態」
なのである。
企業はよく、
* 研修を増やす
* eラーニングを導入する
* 資格取得を推奨する
* KPIを設定する
などで解決しようとする。
もちろん、それ自体は悪くない。
しかし、どれだけ良い教材があっても、
“学ぶ気持ち”
が起動していなければ、
人は動かない。
私は以前、
「育成とは、きっかけを与えることだ」と考えていた。
だが今は、その言葉の重みを痛感している。
きっかけとは、
そんなに簡単なものではない。
人によって、
* 響く言葉
* 不安
* タイミング
* 欲求
* 成功体験
* 人間関係
は全く違う。
つまり、
「誰にでも効く育成」
など存在しないのである。
例えば、ある社員は、
「任せてもらえた」ことで変わる。
またある社員は、
「認められた」ことで動き出す。
別の社員は、
「仲間とのつながり」で学び始める。
さらに、
「危機感」や「悔しさ」が起点になる人もいる。
つまり人は、
“その人に合ったきっかけ”
によって初めて動き出す。
だからこそ、
育成とは「教えること」ではなく、
“動き出せる状態をつくること”
なのだ。
ここで重要なのは、
「管理」と「支援」は違う
ということだ。
管理は、
行動をコントロールしようとする。
しかし支援は、
本人の中にある可能性を引き出そうとする。
私はこれまで、
* メンタリング
* 面談
* コミュニティ
* ジョブアサイン
* OJT
など、さまざまな育成施策に関わってきた。
だが本当に効果があったのは、
「この人ならできる」
と信じて関わった時だったように思う。
人は、
「管理されている」と感じると閉じる。
しかし、
* 信頼され
* 支援され
* 小さな成功を積み
* 自分なりの意味を見つけた時
少しずつ、自ら動き始める。
つまり主体性とは、
「生まれ持った性格」
ではない。
環境や関わり方によって、
後天的に変化するものなのである。
そしてその起点にあるのが、
「きっかけ」
なのだ。
私はこれを、
「きっかけ学」の出発点だと考えている。
『きっかけ学』人生を変える学びはすべて「キッカケ」で始まる
2026.07.05
2026.07.08
人材育成コンサルタント、シニアインストラクター
● 人材育成、DX・IT、コンサル、マーケの経験を踏まえて、人材教育の新たなアプローチを探求中 明大法なのに齋藤孝ゼミ🤣 教免3種ホルダー イノベーション融合学会専務理事 教育研究家、モノカキの時は、「富士 翔大郎」と言います。天才トム・ショルツの「BOSTON」と「マニュアル車」「海外ドラマ」をこよなく愛する静岡県民
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