会社とは何か:法人の存立根拠

画像: photo AC: はむぱん さん

2017.08.30

経営・マネジメント

会社とは何か:法人の存立根拠

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/教科書では、株式会社は、物的な営利の社団法人、と教えられる。しかし、その実際は、むしろ意思無能力な財団であって、その後見人としての支配権と正当性が、歴史的、社会的に揺らぎ続けている。/

 さて、話を元に戻そう。財産がすでに実在するとき、我々は、その所有者を、登記という法的に統一された「神話体系」に整理している。それゆえ、たとえば、土地があれば、登記簿を調べ、その所有者を知る。これこそ、我々が実際にやっていることである。そして、ここにおいて、この所有者は、しょせん紙の上の記録であり、自然人であるか、法人であるか、を、問わない。自然人であっても、生没未詳かもしれない。しかし、いずれにせよ、すでに解散しているが清算未了の「事実上の法人」などのように、現実に財産がある以上、その所有者は、まさにそのように財産があることにおいて、文化的にはもちろん、法律的にも存立してしまう。


3 経済行為能力

 法律において「行為能力」は、法律行為を行う法律上の資格を意味するが、我々は、これを離れて、実質上の〈行為能力〉を問題としよう。たとえば、無免許ながら自分の庭園で自動車の運転をしている者は、運転に関して法律上の「行為能力」はないが、実質上の〈行為能力〉はある、ということになる。この区別は、法律一般の原理としても基本となる。というのも、実質上の〈行為能力〉がない物事については、法律上は、その禁止も義務もできないからである。逆に言えば、実質上の〈行為能力〉がある場合にのみ、法律上の「行為能力」を否定することもできる。

 次に、我々は、〈行動行為〉と〈表示行為〉と〈意思行為〉を区別しなければならない。たとえば、走る、食事する、などは、〈行動行為〉であるが、買う、約束する、などは、〈表示行為〉、疑う、希望する、などは、〈意思行為〉である。である。すなわち、〈行動行為〉は、身体的な行動を必要とするが、〈表示行為〉は、いかなる方法であれ意思表示さえされればよく、〈意思行為〉は、意思のみあれば、その表示さえも必要としない。そして、イエスの厳格律法でもないかぎり、法律は、基本的に〈行動行為〉と〈表示行為〉のみを問う12。

 さて、ここにおいて、所有する、とは、いかなる行為であろうか。しかし、これは、上述のいずれの行為カテゴリーにも当てはまらない。すなわち、所有することに、通常は、握持や監視などの行動はもちろん、占有の表示も意思も直接的には必要ではない(『辞典』)。ただ財産が所有者に帰属するのであり、その所有者が何か行為するのではなく、その所有者以外が、所有者が所有するとされている財産に関わる行為をする際に特別な配慮や手続を必要とする、つまり、その所有者ではなく、その所有者以外がその財産に関して特別な配慮や手続の義務を負う、ということである。むしろ、所有者は、その所有する財産に関して、消費も破棄も放置も、とくに他者の権利を侵害しないかぎり、基本的には自由である。この意味で、所有は、じつは、実質的な行為概念ではなく、本質的には、社会的な権利概念である、と言うことができる。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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