「やってみなはれ」と「しょうがないさ」。日本社会に育みたい。

2012.05.14

ライフ・ソーシャル

「やってみなはれ」と「しょうがないさ」。日本社会に育みたい。

寺西 隆行
(株)Z会

日本社会に閉塞感を感じていますか?創造が必要だと思いますか? もし、そうならば、是非皆さん自身が、意識してください。 「やってみなはれ」と「しょうがないさ」と言える自分になることを。

そのチャンスをあげず、矢継ぎ早に、過去のある一点での不完全さで、あたかも全体がいかんような評価を大声でする人がいすぎるというのは、チャレンジャーにとってあまりにも厳しすぎる社会だと思います。

そして、残念ながら社会がすでにそっちに振れすぎている現状がある以上、私は普段より意識して、多めにみてあげる、猶予をあげる、もう一回チャンスをあげる、というのをみんながやらないと、「振れすぎたふりこを戻す」のは容易ではないと思ってます。

===(引用終了)===

とある出来事に対してのコメントではありますが、日本社会で「新たな挑戦」「新たな試み」を発生しやすくするために、とても大切な姿勢が、わかりやすく書かれている!と、激しく同意しました。
※「中略」にした部分は該当する件固有のことですので、略しました。一般論(姿勢論)としてクリアな目で見るために。

本姿勢が大切だ!と思う具体例も一件あげておきます。

Z会で働いているため、教師の友人もとってもたくさんいます。
その中で、自分が教師であることを明らかにし、保護者や(高校生の)生徒と、Facebookなどのソーシャルメディアでコミュニケーションとっている人が何人もいます。

Web上でコミュニケーションをすべてオープンにしている場合、プライベートな活動も含めてすべて第三者に知られることになりますし、自らの信念的な部分を露わにすることで、対立する考え方の方からの、自らが望んでいない「ちょっかい」をかけられる可能性があります。
また、全てオープンではなく、Facebookでいうと「友達のみ公開」設定にしている場合ならば、行為そのものが、特定の生徒に対する贔屓の温床になるリスクを常に弁えなけばいけません。たとえその教師にとって動機は善であっても、「友達のみ公開」で、教え子やその保護者と交流を持つことを「悪意」で行えば、贔屓につながる、という意味で。

だからといって、何か問題がおきたらどうする!とか、贔屓と見られたらどうする!という言い方&トーンをもって、これらの活動を全面ストップしようと人の考え方は、本質的に、創造を妨げるベクトルへ向かっている、と言わざるを得ません。
「教師と保護者や生徒が積極的に交流を持つこと」
これ自体、なんら悪いことではないですし、Web上という機会と場の中でさらに試みることで、両者のみならず、その交流を見ている第三者から教師に対する信頼感が醸成される場合だって多々あるわけですから。

次のページ日本社会には、「やってみなはれ」という温度を高めること...

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寺西 隆行

寺西 隆行

(株)Z会

文部科学省広報戦略アドバイザー 経済産業省「未来の教室」教育・広報アドバイザー 三島市GIGAスクール推進アドバイザー 等

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