/哲学は、もともと語るものではなく、生き方そのものです。だから、彼らの歴史上の生き方を見れば、彼らの思想もわかりますよ。とくに記録にない女性たちの人生を理解するには、実際の歴史から学ぶことが大切です。/
22.06. 絶対君主制:16-17C
税収を増やすため、国王や名ばかりの新たな領主たちは、傭兵を使って、教会や都市貴族の支配する都市を征服しました。しかし、これらの都市には、庶民が増加していました。かれらは、小商人、職人、飲屋、そして正体不明の貧民でした。教会や都市貴族の支配から解放されたとはいえ、かれらは国王や新領主を歓迎しませんでした。
「かれらはもともと封建領主から自由を求めて逃れてきた人々だったのだから、国王や新領主を歓迎するわけがないよ」
北ドイツ、南フランス、フランドル・ネーデルラントは、昔から羊の飼育と羊毛工芸が盛んで、それぞれバルト海、レヴァント(地中海東岸)、北海との交易で栄えていました。十六世紀に小氷期に入ると、羊毛織物の輸出価値はさらに高まりました。何人もの王たちがこれらの地域を巡って争いましたが、だれも手に入れられず、羊毛産業を営む都市貴族や近隣の郷士たちは、ルター派やカルヴァン派のプロテスタントとして自治を維持できました。
「これらの地域は、自由というより、王たちの隙間だったんだろう」
とくに南フランスは、かつて十二世紀カタリ派という異端の温床であり、その後はイングランド側のノルマン・アンジュー=トゥールーズ帝国の領土となって、百年戦争(1337年~1453年)を引き起こしました。当時、スペイン・オーストリア帝国のハプスブルク家は、カトリック側に立っており、新大陸から得た金銀を蓄え、レコンキスタに向けて常備軍を整えてました。それで、ハプスブルク家を巻き込んで、新興領主たちは、プロテスタントに対するフランスのユグノー戦争(1562~1598年)やオランダの八十年戦争(1566~1648年)を起こしました。
「裕福な平民が、貧しい新興領主たちを悩ませた」
地方の製造業は、家内工業を駆逐してしまいました。農村部の自給自足農家は衰退し、小作農や都市移住者になりました。さらに、宗教改革によって多くの修道院が破壊されたので、病人や老人など、働けない人々も、都市に押し寄せました。都市貴族たちは、かれらを追い出そうとしましたが、ムリでした。結局、かれらは、病人や老人はもちろん貧民もも収容する病院を建てて、そこに閉じ込めました。しかし、イングランド王ヘンリー八世(1491-1509=47)は、怠惰のせいで失業した移民たちを鞭打って追放しました。物乞いが許されたのは、病人と老人だけで、それも許可証が必要でした。さらに、彼は、1534年にカトリック教会を離脱し、フランスのユグノー戦争にも、プロテスタント側で介入しました。
「移民問題は、いつも厄介な問題だ」
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
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