/哲学は、もともと語るものではなく、生き方そのものです。だから、彼らの歴史上の生き方を見れば、彼らの思想もわかりますよ。とくに記録にない女性たちの人生を理解するには、実際の歴史から学ぶことが大切です。/
22.05. 常備軍と官僚制:15-16C
かつて封建領主には家士や農奴を動員する戦力があり、そのため、国王と領主は、緊張関係にありながらも、協力しました。しかし、十字軍の失敗とペストの流行により、宗教的支配は衰退し、農奴も不足しました。それで、領主は、賃金を払ってでも農民を募らなければならなくなりました。一方、国王も、封建領主の代えて、フランシス・ベーコン(1561~1626年)のような官僚を登用し、外国人傭兵に頼らざるをえなくなりました。
「元家士たちは、多くの逃亡農奴を率いて、自由傭兵の将軍になったよ」
国王は、お気に入りの官僚に領主の称号を与えましたが、かれらは領地に実権はありませんでした。国王は、有力な封建領主のみは家臣としたものの、他の領主たちは官職を与えられず、かろうじて貴族の地位を保っていました。一方、一部の農民は、カネを稼いで土地を買い、独立自作農となって、さらに土地を増やして、他の貧農に耕作させて、鄕士の地位にまで上りました。
「没落領主と成り上り農奴は、いまや同じ階級になった」
貨幣経済の発展は税収を増やし、王室は、官僚機構と常備軍を創設しました。王族の男女は、もはや自分で働く必要がなくなり、貴族たちや商人たちに贅沢を見せびらかしました。同様に、貴族の娘と結婚した大商人は、貴族から資本を得て、広範囲から原材料を調達し、農村部から余剰労働者を募集し、工場を建てました。しかし、都市貴族の地位向上とともに、かれらは貴族出の妻や娘たちに王族にふさわしい贅沢をさせなければならなくなりました。
「女たちの贅沢が、男たちの経済的な信用を示したんだな」
一般の妻や娘たちは、男たちと同じように働きましたが、彼女たちが作ったものは、それを売りに出た男たちの名前でしか知られませんでした。だから、多くの女性職人、女性芸術家、女性作曲家もいましたが、彼女たちの名前は記録に残されていません。ボローニャのような大学には、医学、数学、物理学の分野で活躍する女性教授がいたにもかかわらず、フランス学士院は、かたくなに女性の入会を拒否しました。たび重なる戦争と貨幣経済の発展は、男性人口の減少と、自営農民や下級貴族の衰退を招きました。そのため、女性の半数は、独身で身寄りもなく、家庭教師やガヴァネス(家宰)、女中、労働者、娼婦として生きるほかにありませんでした。
「男たちが公共市場を支配して、女たちを排除してた」
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
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