/単独者として、私たちは戦争のように、自分で選んだわけでもない歴史的、個人的、そして矛盾した極限状況に陥ることがあります。その時、同席者とのコミュニケーションを通じ、私たちはむしろ、必然性の極限を超えて、超越体と同じ自由を再発見できます。実際、ヤスパースは、ユダヤ人の妻を守るため、ともに死まで覚悟して自宅で籠城したそのとき、米軍がハイデルベルクの街を解放しました。それが実存、自由の出現です。/
27.07. ヤスパースvsハイデガー
ヤスパース(1883-1969)は、ハイデルベルク大学の新カント派、ヴィンデルバンドのもとで心理学者としてキャリアをスタートし、当初はフッサールの現象学を信奉していました。健康状態が悪かったため、第一次世界大戦(1914-18)ではかろうじて徴兵を免れましたが、戦争の宣伝と現実の乖離が彼の世界観を大きく変えました。彼は、現象はけして真の存在に到達せず、分析は数学と諸科学の共通性を証明できても、虚無主義を克服できない、と主張しました。彼は、存在そのものを解明する存在論こそが、いかなる科学とも異なる、哲学独自の使命だと考えました。
「存在論なんて、ずいぶん古くさい。ロックからカントるまで、近代哲学はそんなものを不可知として、議論の外にほかしてきたのに」
実際、彼はカントが超越的理念として認識から除外した三つのもの、すなわち神、世界、そして魂について論じます。客観世界において、神は超越体であり、魂は出席者(Dasein)です。彼の主張は、この世界の出席者は、客観世界を超えた超越体と、主体的存在、すなわち能動的な出現(existence)として同一である、というものです。これを示す彼の方法は、フッサールの現象学と似ています。私たちは通常、世界を現実とみなし、事実志向で生きていますが、じつは世界は、超越体の現象にすぎません。しかし、単独者として、私たちは戦争のように、自分で選んだわけでもない歴史的、個人的、そして矛盾した極限状況に陥ることがあります。その時、他の出席者たちのコミュニケーションを通じ、私たちはむしろ、必然性の極限を超えて、超越体と同じ自由を再発見できます。
「神がかっているが、なんとなくわかる」
ディルタイの生活解釈学も参考にしつつ、フライブルク大学でフッサールに師事し、ヤスパースの友人でもあったハイデガー(1889-1976)は、1927年の著書『存在と時間』で、世界の中の出席者(Dasein)を器用に描写しました。彼によれば、出席者は、方法的事物の見知らぬ世界に放り込まれ、不安を覚えます。そのため、わけもわからず、人々のようにふるまい、自分自身のありようを忘れてしまう。しかし、迫り来る死を前に、自らの時間的出現に気づき、そこから遡及的に自己の人生を投企します。そして、ハイデガーは、この時間性から存在論を解明しようしました。
「ハイデガーは、ヤスパースの出現的自由を通してではなく、時間性を通して、超越的な存在に近づこうとした」
それはただの取り換えではありません。ハイデガーは自由の可能性を否定し、歴史的必然性を信じていました。彼は長年、反ユダヤ主義者として、ヒトラーを支持し、ナチスに加わり、過激な学生たちを護衛隊に引き入れ、フライブルク大学の学長に就任しました。一方、認識を超越する存在論を唱えたヤスパースは、ハイデルベルク大学の新カント派に疎まれ、さらに妻がユダヤ人だったため、大学から追放されました。フライブルク大学の元教授フッサールも、ユダヤ人であったため、資格を剥奪され、出版も禁止されました。ヤスパースの弟子ハンナ・アーレントは、ハイデガーの愛人でしたが、ユダヤ人として亡命を余儀なくされました。しかし、教授陣の支持を得られず、ハイデガーの陰謀は失敗に終わり、1934年にエリートの親衛隊(SS)が草の根の突撃隊(SA)を粛清すると、彼もまたナチスからも嫌われました。それでも、彼はニーチェを研究し、ナチズムに固執しました。
「ハイデガーは、突撃隊員たちと同じように、嫉妬に満ちた庶民的な男だった。ニーチェは、そういう輩をいちばん憎んでいたのに」
ヤスパーの妻が強制収容所に連行されそうになった時、二人は自殺さえ決意しました。しかし、まさにその時、米軍がハイデルベルクを解放しました。ハイデガーは戦争の責任を問われましたが、自分はナチスに嫌われていたと主張して処罰を免れました。しかし、彼の戦時中の悪行が明るみに出て、ナチズムによって抹消されていたフッサールやヤスパースの巨大な思想が再評価されるにつれ、彼の衒学に満ちた、独創性の無い浅薄さが露呈し、時の流れは彼を忘却へと追いやりつつあります。
「彼らはみな、時代に翻弄された。でも、ヤスパースは、妻とともに自身の哲学を信じて、かろうじて耐え、生き延びた」
純丘曜彰(すみおかてるあき)大阪芸術大学教授(哲学)/美術博士(東京藝術大学)、東京大学卒(インター&文学部哲学科)、元ドイツマインツ大学客員教授(メディア学)、元東海大学総合経営学部准教授、元テレビ朝日報道局ブレーン。
哲学
2025.02.17
2025.03.31
2025.04.08
2025.05.02
2025.06.07
2025.07.15
2025.09.05
2025.12.02
2025.12.11
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
フォローして純丘曜彰 教授博士の新着記事を受け取る